金持ちが得する仕組みと、だから変われる話 | ひきこもり、お遍路へゆくAmeba版

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自身のアルコール依存症や引きこもり、アダルトチルドレン問題により、生き方を見直す切っ掛けを手に入れ、その舞台に四国八十八ヶ所の遍路を選んだ男のブログ

世の中、金持ちが特をする仕組みになっている。


だからと言って金持ちになれるかと言えば、


中途半端な天狗ゾーンにいる人はカモとされ、


ワンルームマンション投資詐欺などに引っ掛かり、


自分は選ばれた者(エリート)だと思っている。


そして、詐欺にあったことを自分のプライドから認められない。




金持ちが特をするのが摂理とはいえ、


一言で貧乏人の自己憐憫にトドメを刺すとすれば、


輪廻転生、自分の選んだ(乗り越えるべき)運命だと言おう。




積立NISAの変更や、


コロナ後に目立つ地域振興券などの話題にふれるたびに、


俺は極貧だったあの頃を思い出し、


『本当に金に困っている人は、その余裕すら無い』と感じている。




NISAが変わり投資額が増えたところで、今の年間上限40万(33,333/月)すら大変な人が多いはずだ。


俺の住む宮崎県都城市の話で言えば、数ヵ月前に10,000円の手出しで13,000円の地域振興券が5セットまで申請出来ることがあった。


結局は上限が4セットまでとなった訳だが、


1セットにつき3,000円も特だとは分かっていても、以前の俺ならば1セットも申請することは出来なかっただろう。


それが今回は合計8セット、祖母の分まで負担できるほど、俺の生活は変わっていた。




こういう話をすると多くの人が『お金に恵まれない運命に生まれた』と自己憐憫する。


しかし、大切なのは“では、どうするのか?”であり、


近い将来に、確実に人生は変わるものだ。


ただ、人はすぐの変化や答えを求め、


確実に訪れる近い将来に“幸せ”を見出だせない。


そして、不幸や変化の無い道を選ぶ。


少し先の幸せと、今一瞬の楽をシーソーに乗せると、殆どの人は“今の一瞬”を選ぶだろう。




俺は精神障がい者となり、前科も付き、一度は(全ての罪を背負わされ)嫁にも棄てられた人間だ。


最悪なことに、人間に過剰なアレルギーを持ち働くことが困難であったし、


酒や薬、タバコ無しでは生きて来れなかったコスパの悪すぎる人間だった。


しかし、逮捕されたことを切っ掛けに人生に目覚め、自分の魂が雄叫びをあげ、


必死に人生の建て直しに挑んできた。


酒もタバコも薬も断ち、通信制高校を卒業し、通信制大学に進み(やめた🤭)、


大型、牽引、大特、フォークリフト、車両系建設機械などの資格を取り、


給食のおじさんとなり、実務を2年積んで先日調理師の試験に合格した。


タバコをやめた分だけでもと、コツコツ貯めたお金は100万を超える。


半分はビーニャさんのバイク代に消え、残り半分は無知な頃に外貨預金としていたため、利息で少しの投資に充てられている。


結局、自分の人生の蓋を空けてみたら、


酷い経験があったからこそ、今があると思える。


あの経験が無く、一般的な人生を送っていたとしたら、


俺の性格からして人を見下して天狗になり、ワンルームマンション投資詐欺に引っ掛かったり、


見栄から大きな家や、大きすぎる車を買ったりしていただろうと、最近、本当によくそう感じている。




あの経験がなければ『未来に備えよう(具体的に)』とか、


『出来ることは自分でしよう(考えよう)』とは思えなかっただろう。


何より、自分の人生(過去、現在、未来のこと)について真剣に向き合うことも無かった。


今の俺は困難が予想されたとしても過去の経験と、未来の予想と、今からの対策で乗り越えられるだろう。




そして、知らない世界を知るということの大切さも同時に感じている。


最近は個別株の掲示板などをみることが増えたが、俺が1株買うのを非常に迷っているなか、


100株や500株を「買いました」と、さらっと書き込んでいるヤツがいる。


そんな奴らが『どんな生活をしているのだろう?』と考えさせられるし、


その反面、駅前に行けば終始パチンコの話をしているタクシーの運転手はいるし、


ゲームの世界にだって課金に狂ったギャンブル依存症はいる。


また、犬の散歩で地元を歩けば、物凄い豪邸の前を通る。


窓から見える少しの天井の灯りに『どんな家で、どんな生活をしているのだろう?』と考えさせられる。




こうやって自分の知らない世界(経験していない)を想像するたびに、俺は自分の生きるステージのアップの可能性を感じる。


きっと、自分の知らない世界を経験し、知ると言うことは、


脳にある思い込みが解放される瞬間なのだろう。


夢にも思っていないことが、現実にあると知るだけで、その道への選択肢だけは手に入れることが出来るのだ。


自分の可能性が増える。


そして、自ずとその世界に向かって自分は進み始める。


以前のような“無知”と言う自分の世界を縮めるブロックは既にもう壊されるのだ。




良い意味でも、悪い意味でも、


類は友を呼ぶ。




そして、俺は人を見る時は必ず“裏”にも目をあてる。


豪邸に住んでいたって実は夫婦仲がボロボロで最悪な人生を送っているかもしれない。


ボロい家に住んでいたって、日々、自分の出来ることを行う幸せや、考えることの幸せを噛み締めている人もいるかもしれない。


多額に投資が出来ると言うことは、それだけリスクの幅も大きい。



結局は、


人は人、だし、


で、あなたはどうするんだい?


ってことに終わる。




人を羨んだって、


自分を悲観したって、


自分の進みたい道に進めることは無い。




今年一年を振り返る時期になり、困難ばかりだった今年に得たものを考えると、


人の目や評価を気にすることの無駄さ


という感覚を得た事だろう。


結局これも、ただ非難するだけの人に傷つけられた結果手にしたものだし、


恐れずそういう立場に立ち続けた自分の行動の結果なのだろう。