こんな物を飲み


こんな物を食べ


こーんなの おやつにして




歩道はヨーロッパ特有の石畳

全く記憶にない教会たち・・・





はい!添乗員が何の説明もしてくれなくて
本当に覚えてません・・・・
しょんぼり!チーン



やはり
オランダと言ったら






こんな可愛い暴走族(笑)





オランダ語でオランダを示す「ネーデルランド」は、「低地の国」という意味です。 その名の通り、国土の4分の1が海抜0メートル以下! これらの土地は、干拓によって作られたものです。 オランダは国土の大部分が海抜1〜2メートルの湿地帯でした。



これを農作地に変えるため、人々はそのエリアを堤防で囲み、水路を作って水を排出しました。
しかし、柔らかい湿地帯は地盤沈下を起こし、海抜よりも低くなってしまいます。
水路だけでは水を排出できなくなりました。
そこで、低いところから高いところへ水をかき出す動力として風車が用いられたのです。








何基あったのかなーー
分かってても驚いたのは
海抜0メートルを実際にこの目で見ちゃった事かな

地球温暖化が進んだら
真っ先にこの地方は海面下に沈む事でしょうね・・・



以前訪れたスペインのラ・マンチャ地方にある風車は
1基1000万円で売ってるよ~って言ってましたがw
こちらは残念ながら売り出しはしてませんでしたゲラゲラ











オランダと言えば自転車自転車と言えばオランダ」とオランダ政府観光局がアピールするくらいに「自転車の国」なんです。

◆自転車中心への転換
第二次世界大戦以前、オランダでの主要な移動手段は自転車でした。しかし1950年代、1960年代になると自動車が急速に普及するにつれて様相は一変します。ヨーロッパの多くの国々がそうだったように、オランダ国内の道路も自動車があふれかえるようになり、自転車は道路の縁へと追いやられていくことになりました。この自動車数の飛躍的な増加は、交通事故による死者数の増大を招き、1971年には車にはねられて亡くなった人の数が3000人を越え、そのうち子どもが450人を占めるという状態になりました。結果、子どものための安全なサイクリング環境を求める社会活動が起こることに。

さらに1973年に起こった石油危機が自動
車の信頼性と持続性を大いに揺さぶります。産油国がアメリカとオランダを含む西ヨーロッパへの石油の輸出をストップしたのです。

社会運動と石油危機の問題は、オランダ政府が自転車用のインフラ整備に本腰を入れる後押しになりました。オランダの都市開発は、都市化する他の西洋諸国でとられていた自動車中心の道路建設方針から脱却して独自の道を歩むことになるのです。

サイクリングを安全にし、より多くの人を招待できるようにと自転車専用道路の巨大ネットワークが構築されました。専用レーンは自転車専用であることが標識ではっきりと明示され、道路も平らに舗装されます。また、追い越し可能なように十分な道幅が取られました。



オランダの都市の多くでは、自転車専用道路は自動車交通網から完全に分離されています。ところにより分離が不十分で両者が混在しているところもありますが、そこでも「自転車優先」という表示を見つけることができます。また、オランダによくある円形交差点「ラウンドアバウト」でも、自転車に優先権があります。

歩行者は自転車優先なので
自転車が来ていたら渡ってはいけません。
日本でしたら歩行者優先ですが
お国によって法律が変わるのですね。



アムステルダムとはお別れして
オランダ第3の都市ハーグです。

ここの記憶が全くと言ってないので
写真から想像してwお伝えします
※例の添乗員が全く説明もなしで
ひたすらドンドン歩いちゃってた部分?


ブイテンホフ

ビネンホフ

ビネンホフの中でも最も古いもので、教会のような荘厳なファサードをもつこの建物は、1280年に建てられたもので、現在は国会議事堂として使われています。

また、「デルフト焼き」これはオランダで有名な焼きものです。


ミッフィーちゃんもオランダ生まれなんですよ











なんとも上品なデルフトブルー

素敵な色なのでお土産にミッフィーのタイルを購入しました♪







今回は美術館巡り!










さすが!運河の街ですね
大きなお船や



遠くに見えるのは有名なマヘレの跳ね橋です

小さなボートに乗って運河を堪能


ランチタイム

??サラダの端っこの「幽霊みたいなラッキョウ??」

・・・食べても分からない
後でマーケットで探してみたら
300g程の瓶詰で売ってました。


オランダの食事って可もなく不可もなく(笑)

腹ごしらえを終えて




アムステルダム国立美術館とは
オランダの首都アムステルダムにある美術館で
「ライクス・ミュージアム」と呼ばれて17世紀オランダ絵画が充実している。

『牛乳を注ぐ女』:1660年頃
ヨハネス・フェルメール

        や

『夜警』:1642年
レンブラント

これが有名ですね。

ピンぼけで申し訳ないのですが

この作品よりもっと大きかったです。
(3.63 m x 4.37 m)見上げちゃったヨ



ゴッホ美術館では















あぁ~~~~、またまたピンボケ

写真撮影はダメーーーーーって言われてて
こっそり撮ったもんだから・・・と言い訳

なんでダメなの???って

もう~~~そりゃ凄いのよー
ここではなんと!!なんとですよ!!!
「ひまわり」4点盛り
って刺身の盛り付けかい?!

なんと「ひまわり」が4点も横並びだったんですね
※現存する作品は世界で6点とも言われています。(1点は焼失)

姉は要領が悪く係員に「撮った写真、その場で削除しなさい!!」って
見つかってました(笑)

ゴッホは生まれたオランダから、パリに渡り、1888年に南フランスのアルルに移住。同じ年の10月に、フランスにいたゴーギャンを誘い、同居生活が始まりました。互いに刺激を与えあっていたのもつかの間、芸術観や性格の不一致から次第に議論するようになり、わずか2ヶ月で共同生活は終了してしまいます。


これはひまわりの絵を描くゴッホの姿をこっそり
ゴーギャンが描いた作品です。

次はクレラー・ミュラー美術館

シニャック 『 二本の糸杉、北風 』 1893
この淡い点描画 いいですね~








ここにもゴッホ作がたくさんありました。