さよならクラップ爺さん‥ | 大山大輔オフィシャルブログ「ネコとオペラと大山大輔 改」Powered by Ameba

さよならクラップ爺さん‥

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いや~みなさん、こんばんわ!!!!!

久々にすっごく寝ました((((;゚Д゚)))))))

寝過ぎて汗かきまくり、

起きてシャワー浴びても汗かきまくり、

昼寝(夕方くらいでした)してまたも汗かきまくり、

ほんで

喉カラッカラになってやっと活動開始(活動といっても水分が欲しくて外に出た程度ですが笑)して、気づけばこんな時間でございました。。


久々の二連休ε-(´∀`; )

睡眠を享受させて頂いとりますぐぅぐぅ


それにしても


寝ても覚めても聴こえてくるんですよ


クラップの音楽が‥(笑)


やはり、ベケット作品の世界観をオペラ化するということは

芝居の"間"や、一人芝居特有の"静寂"を音楽化することなんだなぁ‥と

静寂に身を置くと、自然と耳の中で鳴っていても、その静けさを邪魔しない音楽だったんだな‥と

改めて感じ入る今、この頃ですにひひ


さて、『JULIET』然り、『KRAPP』然り
ですが、オペラってのは終わってしまうとどうにも寂しいものですね。

コンサートではこんな感じにはならないのです。それは、聴いて下さるみなさんと、その空間との "一期一会" を楽しむ事に主眼が置かれているから。かな?

しかし、オペラ(芝居)の場合は、舞台上で "役を生きること" に主眼を置いていて、その様を、その場に同席して下さった皆さんに覗いてもらうという感覚なんですね。

だから、寂しい。

何故なら、その演目が終わると

その役が去って行く。

演じたこの身体から、

身体に入れた役が去って行く。

もしくは、

役に寄りそわせた身体の状態が、

ニュートラルに戻る。

だから、やっぱり寂しいんです。

コンサートは、自分そのものですから。
だから喪失感がないんですね。
ガラコンサートで様々な役をやったとしても、ニュートラルに戻るまでが早いですからねにひひ


ティボルトの兄貴が去って行ったときも
もちろん寂しかったですが、彼にはまた会える気がしているし(香さんヨロシク頼みます‥笑)、何しろクラップ爺さんが早くしろとせっつくので寂しがる暇が無かった(^^;;

けれど今、クラップ爺さんが去って行くのが、こんなに寂しいのは何故なのか‥?
それは作品の構造に起因するのかも‥。

69歳で居て、39歳の時の録音を聞きつつ、更に27~29歳頃の回想が含まれている‥なんだか、マトリョーシカ的(今回観てくださった方の中に、玉ねぎだラッキョウだと仰った英語の先生もいらっしゃいましたが‥笑)な構造なので、役作りが出来ること出来ること。
これだけ強烈にバックボーンが確立していたから、共感し、受け入れ、体現するに至ったのでしょうね。

というか、この理屈をこねまわす性格は、元々持ってたんですけどね(・ω・)
クラップ爺さんは去って行ったけれども、影響は色濃く残った的な(笑)

そして、何より、必死こいて勉強した楽譜を‥楽日にお返ししたのもデカイ(T ^ T)

‥残らないんです。

今回、権利の関係上(厳しいですよね‥)

YouTubeのPVも
期日はお聞きしていませんが、見られなくなります(涙)

公演記録をDVDにして、みなさんの手に渡ったりもしない。。

だから、観に来て下さった皆様の記憶の片隅に、しばらくの間、クラップ爺さんを残しておいてやって下さい(=´∀`)人(´∀`=)

ああ、書いたらキリがなくて‥すごい時間になっちゃった(笑)

そして、あれだけ寝たのにアタマも朦朧としてきたので、あまり感想になってませんが、今日はここまで!!!!!

おやすみなさい!!!


そして


さよなら!!!!!


クラップ爺さん!!!!!
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