写真は9600形蒸気機関車、49627号。ナハネフを牽引する形に。帰り道立ち寄った折尾の旧駅舎。まだ健在です。
ナハネフ22の相棒は小さなキューロク
しっかり門鉄デフ(切取排煙板)です。
「主に貨物輸送で活躍した」と記してありましたから、恐らく香椎線の石炭列車を牽引していたものでしょう。
最後に急行かいもんについて少し。
「かいもん」の由来はもちろん「買い物
」ではなく、薩摩富士として有名な開聞岳です。
1980年以降は客車夜行1往復での運転。1993年にドリームつばめに格上げされるまで運行されました。
20系での運用は、1986年まで。以降は14系にグレードアップされています。
当時の編成表をみると寝台車は2両連結されており、スハネフ22の定員からして寝台車だけで100名以上の輸送力がありました。
しかし、通常はそれほど乗客は見込めませんでした。
何故なら、最も需要のある西鹿児島~博多間を利用する場合、下りの鹿児島到着が6:12、上りの博多到着が5:34と早過ぎて使い勝手が悪いことが挙げられます。
座席ならともかく、寝台利用だと高くついてしまい、寝台車に乗るメリットが感じられなかったでしょう。
試しに博多~西鹿児島(鹿児島中央)までの運賃を現在の新幹線と比較してみましたが、新幹線の方が730円安かったです(86年)。
運賃は当時の方が安かったですが、寝台料金5000円が響きます。まあ、宿代と考えれば高くないかもですが。
格安きっぷの発売など、寝台車への積極的な誘致が行われた形跡もなく、乗車率は低迷していたようです。
連日1000キロ以上の長距離運転を繰り返してきたせいか、車令の割には老朽化が進んでいたようで、82年に乗った際、車内は薄暗くすえたような匂いがしていました。
時は国鉄末期、整備が行き届いていなかったのかも知れません
(ρ_;)
国鉄の栄光の時代から凋落期を駆け抜けていった20系。
一ファンの熱意で蘇ったその姿を、これからも保ち続けることを願って止みません

