写真は15㌔制限がかかる、路盤が崩落した現場。
厚狭駅前にそびえ立つ三年寝太郎像。
一編成だけの、415系国鉄色(下関)。
734Dで厚保駅を後にし、美祢線とお別れです。
次の湯ノ峠との間に厚狭川沿いの狭隘な区間があります。
キハ120はぐっと減速し、崩落現場を通り抜けます。今日4回目の通過
厚狭川が激しく蛇行しているため、橋梁も多いですね。実際に通過してみると、本当に困難な復旧工事区間だったんだな、と理解できました
さらに驚くべきは、1905年当時短いながらも難工事なこの区間(厚狭~大嶺)を、着工からわずか1年で開通させていることです。当時の技術水準からすると、相当の突貫工事だったでしょう。
その前年に日露戦争が勃発、海軍省は燃料用の無煙炭を求めて大嶺炭坑を買収します。それを速やかに輸送し、連合艦隊に供給するために、どうしても美祢線が必要だったのです。
つまり美祢線のルーツは軍事路線といえます。ロシアとの戦は国策でしたから、突貫工事をさせたのでしょう。
その後は海軍のみでなく、石炭や石灰石を全国に運ぶため活躍してきたことは、既に書いた通りです。
この地方の産業を支える、大動脈でもあったのです。
今でこそ短小ローカル線ですが、明治期から日本経済を下支えてきた歴史は、忘れてはならないと思いました。
鴨ノ荘信号所を通り過ぎ、17:15厚狭到着。
長い長い一番ホームに、小さな気動車が体を震わせ入ります。
厚狭では時間があったので駅前に出てみます。すると何やら立派な銅像が
「三年寝太郎」だって
三年寝太郎って、いつも寝てばかりのぐうたら男じゃなかったっけ
確かに普段はぐうたらしていたが、地元ではいざというとき知恵を働かせて村の危機を救ったヒーローなのです。だからこんなかっこいいんだ
下関から関門海峡を渡るとき、懐かしカラーの電車に遭遇したので、思わず一枚
短いながら、充実の鉄道旅でした。
終わり


