おとといの続きです
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小ぎれいに整備された宇美駅前より、南北方向に緑道が延びています。これぞ1985年に廃止された、勝田線の廃線跡。大正時代筑前参宮鉄道により敷設され、国有化後も運炭路線として活躍しました。しかし粕屋炭坑閉山後の昭和40年以降は、衰退の一途。
辺りは福岡市のベッドタウンとして宅地化が進んだだけに、積極策を取れば香椎線のように通勤路線に脱皮できたことでしょう。当時でも宇美から吉塚まで25分前後でしたから、本数を今の香椎線並みに増やし、博多まで直通させれば、さぞかし利用価値の高い路線になったでしょう。信じがたいでしょうが、DE10牽引の旧客とキハ20がたった6往復していただけでしたから。余りの不便さに、地元民にとっては過去の遺物のような存在でした。地平で道路と交差する箇所が多いため、渋滞の元凶とみなされた側面もあるようです。
さて、勝田線宇美駅跡を確認できないまま、終点筑前勝田駅跡を目指し南へ歩きます。川沿いの桜並木をぬけ、3キロ程歩いたところに小公園がありました。そこが筑前勝田駅跡です。
モニュメントや保存車両はおろか、石碑すらありません。勝田駅のことを知らなければ、ここに終着駅があったことも判らないでしょう。園内の階段に枕木を流用しているのが、唯一鉄道の匂いを感じさせる事象です。
今回は訪問出来ませんでしたが、志免町では志免駅跡を鉄道公園に整備し、ホームや駅名標も保存されているそうです。冷たいよ、宇美町!
すぐ脇の県道は峠を越え、太宰府へと続いています。1時間に一本程度ですが西鉄バスも通じています。勝田線は太宰府方面への延伸計画がありました。歴史にイフはありませんが、勝田線が廃止を免れ都市鉄道に脱皮し、太宰府方面に路線を伸ばしていれば、この辺りの交通事情、いや町そのものが全く違ったものになっただろうな、などと妄想した次第です。
当時の国鉄体質と、クルマ重視の福岡市の交通政策により、あえなく廃止された勝田線。香椎線の健闘を見るに、本当にもったいないことだと思いました
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