3月14日。

地震発生から4日目。


この日も朝から、娘ちゃんと車内で遊んでいました。

周辺の水も引きはじめ

車でも移動できるようになり

避難していたたくさんの人が

食料を求めて出かけていきます。


そんな中、旦那様が来ました。

昨日、実家へ行ったところ
ママとねこたんは実家の2階にいたそうです。

そこで、旦那様は

ボートでママを救助へ行くとの事。

駅前まであたしも車で迎えに行く事に。


旦那様とママをまっている間に

サイレンがなり、大津波警報が発令されました。

周りの人がみんな逃げていきます。

でも、ママと旦那様が来ない。

あたしは車に娘ちゃんを乗せて

いつでも出発できるようにしていました。

誰もいなくなり、もう逃げようかと思ったとき

旦那様とママが来ました。
急いで高い場所へ移動。

大津波警報は誤報で

すぐに解除されました。

学校へ戻り、ママに娘ちゃんを頼み

歩いて自宅へ向かいましたが

まだ水がひいておらず

途中で断念しました。


その後は、会社の上司のマンションに2日程お世話になり

地震発生から6日目の

3月16日に実家へ戻りました。


それから4ヶ月、自宅へは帰れません。

被害が大きく、修繕の目処も付かずとの事で

必要な物だけを持ち帰り

賃貸契約は解除しました。


今でも、自宅へ帰りたいと何度も思います。

帰る場所がない。

この気持ちを、なんと伝えれば良いのか……


あの日、いつもと同じに
家をでました。

いつもと同じに帰るはずでした。


でも、帰るはずの家がない。


この気持ちは、ずっと消えることはないと思います。


地震、津波により

命を失ったたくさんの方々が

安らかに眠れますように。

大切な人を失った方に、一日でも早く

哀しみの癒える日が来ますように。



たくさんのかけがえのない命が犠牲になりました。


みなさん、忘れないでください。


いつかまた、大きな地震が起きるかもしれない。


3月11日。その日を忘れずに

尊い、たくさんの命が守られる事を願います。




3月13日。

地震発生から3日目。


この日も、携帯電話の電波は復活せず。


避難している体育館はたくさんの人。


娘ちゃんが遊ぶスペースもありません。


感染症などの心配もあり、
出来るだけ車で過ごすことに。

娘ちゃんを車の中で遊ばせ、あたしは車の荷物を片付けていました。

すると、車のそばに旦那様の姿が!

『旦那様!』

普段は人前で手を繋いだりとかも絶対にしない人ですが

この時ばかりは抱き合って無事で良かったと泣いてしまいました。


旦那様は地震当日、仕事先から

あたしと娘ちゃんの所へ向かったけど

どこも水があり、車では入れずに

諦めて会社に戻ったとの事でした。

2日目に自分の実家まで

水の中を歩いて行ったけど
義実家も浸水していたといいます。

あたしと娘ちゃんの所へも
胸まで水に浸かりながら歩いて来たそうです。



その後、旦那様はあたしの実家へ

家の2階に一人でいるはずのママの無事を確認するために向かいました。



3日経っても一向に水が引く気配はなく

この日も避難している体育館で夜を迎えました。


この日の食べたものは

豆腐半丁、生の油揚げ

親切な方がくれた缶コーヒーとお菓子だけ。


続きです。


地震発生から2日目。


3月12日早朝。


あたしは、実家に向かうために

娘ちゃんをおんぶして

避難していた学校をでました。


実家は駅の裏側。


もし、浸水していても

歩いていけるだろう。


避難していた学校は、山の中腹にあります。

駅に向かって、道を下ります。

駅前が見渡せる場所まで着き、辺りを見回すと…

駅舎も市役所も、ビルも車も、

全てが浸水して、とても娘ちゃんを背負って行ける状況ではありませんでした。

仕方なく、学校へと引き返しました。


携帯電話も使えない。

実家へも、自宅へも水が引かずに行けない。


どうしようもありません。



2日目の夕方、娘ちゃんを知人にみてもらい

再度、駅前まで行きましたが

水はひいておらず、引き返しました。


この日、配給があったのは娘ちゃんにバナナ半分。

あたしは、豆腐を半丁。


誰とも連絡はとれず

避難所で2日目の夜を迎えました。