霞がかったダム湖はどこまでも広く、
手すりからそっとのぞくと、
濃密な闇の中で、奈落の魔法にかかる。
遠くの方にゆらめく光で、
そこがやっと、水面だとわかる。
見えないというのは不安だ、ということを
東京に来て初めて思い出した。
2人の息づかいと、
獣の鳴き声。
くらくら、
目眩がする。
夜に。
きみに。
わたしは妄想する。
頭のてっぺんから足の先まで、
きみに全部食べつくされて、
残った白い骨だけが、
暗いダムの底できらきら光る。
それはとてもおそろしくて美しい。
だけどきみは知らないはずだ。
本当はあのとき、
わたしがきみを食べつくしたかった。
奈落の魔法で潤んだ肌を、
甘い舌を。
獣の鳴き声が増えて、
どんどん近くなる。
どこかでわたしたちを見ている。
なまぬるい空気がまとわりついて、
わたしは欲情する。
湿った肌と、真っ白の骨。
きみが欲しい。
獣たちが近づく。
あともう少しで、
頭も体もおかしくなる。
手を引かれてそこを離れたとき、
我にかえってほっとする。
妄想も欲情も、
水の底にゆっくり沈んで、
そんなものは
はじめからなかったのかもしれないとさえ思う。
目がさめると、
トンネルも集落も、
何だか現実感のない映画のようだ。
きみを好きになりながら、
じわじわと日常に帰っていく。