フェミニストの感情論などではなく、
数学に裏づけされていて、論理的で、
血と心が通った見事な言葉だと思った。
今この時代のこのときに、
日本の最高峰である東京大学でこの祝辞が読まれたという意味を、
大人も子どもも、
この国で生きていく人たちはみんなで考えると良いと思う。
グローバルって、
英語がどうとかそういうことではなく、
多様性を受け入れる柔軟な心を持つということだ。
自分より頭が悪い。
貧乏で、教養がなくて、
空気が読めなくて、嫌なやつで。
能力が低くて、劣っている。
そんなふうに、優劣はどこにだって存在する。
だけど、
だからといってそれは人を虐げ、蹂躙して良い理由にはならない。
この国では、
長い間、女性が女性だというだけで下に見られていたし、
ずいぶん変わったとはいえ、現在だってそうだ。
弟が2人いるわたしは、
子どもの頃からずいぶん家族から、
しかも同性である母から、
あからさまな性差別をされながら育てられてきた。
わたしだけが家事を手伝わされ、
デリカシーのない言葉で外見を批判され、
女であることを全部脱ぎ捨てたくなるような気持ちにさせられてきた。
反発は暴力で返ってくるだけだと理解していたから、
わたしは口をつぐんだ。
当時は、
同じ女のわたしに意地悪をして虐げているのだと思っていたけれど、
今はわかる。
それは、母の悪意ではない。
時代の呪いだ。
大人になって、
恋人にこれでもかというほど愛され、
意見を尊重され、
性別の役割という名の呪いから解き放たれた今。
わたしは女に生まれて嬉しい。
母は、祖母は、
ずっと呪われたまんま、
それを疑問にも思わず、
とてもかわいそうだと思う。
それを幸せだと思っていたならいいけど。
区別と差別は違う。
この世から性差別がなくなれば、
男も女も、
もっと自分自身を愛することができる。
現在も蔓延る男女のあれこれの問題を、
多様性について考える第一歩ととらえて、
男と女がお互いに尊重し合いながら、
仲良く生きられる世界をつくっていけたらいいよね。
