母の病名は、脊髄小脳変性症で、遺伝性のマシャドジョセフ病でした。
私を妊娠中、お風呂場で転倒したとか、話をしていました。きっとその頃から、ふらつきが始まったのだと思います。
電気屋の事務員の仕事をしていましたが、平成8年お客さんに出すコーヒーが溢れて、上手く運べなくなり、仕事を辞めました。計算すると、母は、51歳でした。私は、中学生。母の苦しみに寄り添う事は出来ていませんでした。
私には、4歳と1歳の娘がいます。
4才の子は、ずっと続く反抗期、下の子は、これから来るであろう反抗期の序章が始まり、毎日子どもに振り回されっぱなしです。