今月のお言葉
毎月17日は『まんがライフ』発売日です。
「ねこごよみ」今月のお言葉は
「黒猫は病を治す」です。
お楽しみに~!
今月も過去に取り上げたお言葉をご紹介していきます。
【新田猫】
江戸時代、上州・新田岩松家の当主が描いた
鼠よけの猫の絵。
画像は「群馬大学総合情報メディアセンター」
のサイトからお借りしました
「新田猫」の回は、2014年、富岡製糸場と
絹産業遺産群が世界遺産に登録されたのを祝して
とても良いタイミングで取り上げることができました。
養蚕の盛んだった地方では、猫神信仰があり、
鼠よけの猫絵も流行しました。
江戸時代、上州新田郡下田嶋村(現在の群馬県太田市)を
納めていた新田岩松家は、百二十石という
小さな領主ながら、清和源氏の流れをくむ家柄でした。
新田岩松家では代々当主が依頼に応じ、
富士山や龍などの縁起物の絵を描いてきました。
「猫絵」は養蚕が盛んだった時代の
18代温純(あつずみ)から21代俊純(としずみ)までの
4代の殿様が描き、現在の栃木、埼玉、長野などでも
珍重されていました。
19代徳純(よしずみ)は信州道中の際、
地元の人々に頼まれて1ヶ月で307枚もの絵を描いたそうで、
そのうち猫絵は96枚だったそうです。
もともとの枚数が多いこともありますが、
殿様の描く「猫絵」は、単なる「鼠よけ」というよりも
「魔よけ」という側面があったことや、
「殿様の描いたお宝」という扱いでもあったためか、
今でも数多く残されています。
群馬大学総合情報メディアセンターのサイトにある
「新田岩松家旧蔵粉本コレクション」では、
猫絵が見られます。→★
また、「ぐんま絹遺産」のサイト内では
「太田市新田猫絵コレクション」の
簡単な紹介ビデオも見られます。→★
「新田絵」の回を書くに当たり、新田岩田家について
書かれた本を何冊か読みました。
中でも最後の殿様俊純は明治維新で男爵となり
「バロン・キャット」と呼ばれただなんて、
ドラマチックすぎます。
素朴なタッチの猫絵ですが、その背景には
壮大な歴史と物語が詰まっているのです。
〜お知らせ〜
神仙寺瑛先生の『動物のおしゃべり増刊号』
竹書房・9月29日(土)発売
にゲストとしてマンガを描いています。
今回は「ねこごよみ番外編」マルタ再訪のお話です。
よろしくお願いいたします。