南信州の旅(9) 飯田まち歩き | ネコのひとり言

飯田まち歩き マップ


私の中の飯田といえば、名古屋方面から群馬へ帰る中央高速で、中津川・恵那山・阿智村と山あいを走行していたのが、緩やかな下り坂が過ぎた頃に突然現れる、「ひらけた大きな街」というイメージ。

高速道路からしか見たことがなかったそんな飯田の街を、もっと知りたくてまち歩きです。

飯田市は人口9.6万人の長野県で5番目に大きな街。

 

飯田まち歩き マンホールのフタもリンゴ「りんご並木と人形劇のまち」と呼ばれているようです。

寒冷な長野県内では最も温暖な気候で、冬季に真冬日になることは少なく、最大降雪量も20cmくらいの年が多いとのこと。

情報を得るため飯田駅の観光案内所へ。

 

おすすめは「くつわ小路」、「りんご並木」、「川本喜八郎人形美術館 」、「和菓子のお店」でした。
 

JR飯田駅からスタート。

(1)くつわ小路
飯田市は戦後間もなく大火に見舞われ、街の大半が消失したそうです。
そのとき焼け残った区画の1つが高台の「くつわ小路」。

 

飯田まち歩き くつわ小路 高台から市街をのぞむ

 

かつてこのあたりにあった二本松遊郭のたたずまいを残しているとのこと。

 

飯田まち歩き 古いたたずまい くつわ小路


訪れてみれば本当に道が細い。

小路の川側には古いたたずまいの家が軒を連ね、反対側の崖の所々には、細い鉄骨で支えられ今にも崩れそうな(?)家。

 

飯田まち歩き くつわ小路 細い鉄骨で支えられた家


その中で、「小料理・貸席みさと」の看板がいい雰囲気でした。

 

飯田まち歩き くつわ小路 小料理・貸席のみさとの看板

 

(2)りんご並木
大火の教訓として、飯田市中心街は2本の30m幅の防火帯道路が街の中心で交差し、街が4分割されるように整備されました。

 

そのうちの1箇所の道路に植えられたのがりんご並木。

 

飯田まち歩き りんご並木

飯田まち歩き りんご並木

 

最初に植えられた1953年(昭和28年)以降、飯田市立東中学校の生徒さんたちによって、代々育てられています。

りんごの公園としても整備された今では、市民の憩いの場所となっているそうです。

 

街の真ん中にりんご畑があるって、何て素敵なんだろう・・。

 

飯田まち歩き りんご並木 りんご


(3)川本喜八郎人形美術館

飯田まち歩き 川本喜八郎美術館 三国志

 

訪問しなかったのですが、この美術館は「人形劇のまち」の新たな拠点施設として、交流人口の創出や人形劇文化の振興を目的に、2007年に開館されました。

 

人形アニメーション監督であった川本喜八郎さんが、NHK「人形劇 ・三国志」の人形美術を担当した際に製作した人形をメインに、川本さんに関する多くの貴重な作品が展示されているそうです。

(4)和菓子の「和泉庄」

飯田まち歩き 和泉庄

 

古くから茶の湯が盛んだった飯田では、茶の湯文化の発展とともに、京菓子のようなお菓子を作るお店がたくさんできました。

 

伝統の味を守り続ける老舗や、創意工夫を凝らした個性的なお菓子が並ぶ店など、今なお多くの和菓子店があります。

その中の1軒が文政元年(1818年)創業の「和泉庄(いづしょう)」さん。

 

飯田藩主御用達として知られ、平成30年(2018)に創業200年を迎えた老舗です。

代表菓子は「名代大きんつば」。

 

きんつばといえば、本高砂屋さんのような四角が定番ですが、

こちらのは伝統を受け継ぎ丸形です。

 

飯田まち歩き 和泉庄 大きんつば 季節の小きんつば 栗入り

 


八代目当主のこだわり
・餡の甘さは控えめ。とにかく小豆の旨味がしないと駄目

・素材の味が活きていることが重要
・一子相伝の手造りの味

驚きの美味しさです★4.2

これまで、きんつばって和菓子の中でも”そうとう甘い”と思ってました。
それがどうでしょう。
甘さがものすごく控えめで、こんなにたくさんの小豆餡が入っていても、あっさり食べられました。

 

薄皮なのもいいですね。

東京・歌舞伎座では、「いろはきんつば」という名で売られているそうです。
いつか歌舞伎座へ行くことがあれば、「歌舞伎揚げ」とともに「いろはきんつば」を買おう。

 

飯田まち歩き 歌舞伎座土産 いろはきんつば 歌舞伎揚げ