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『殺陣師段平』(たてしだんぺい)は、1950年(昭和25年)製作・公開、長谷川幸延の同名の戯曲を原作としたマキノ正博(のちのマキノ雅弘)監督による日本の長篇劇映画である。
監督 | マキノ正博 |
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脚本 | 黒澤明 原作 長谷川幸延 |
製作 | 東横映画 |
製作総指揮 | マキノ満男 企画 坪井与 柳川武夫 |
出演者 | 月形龍之介 |
音楽 | 大久保徳二郎 |
撮影 | 三木滋人 |
編集 | マキノ正博 |
配給 | 東京映画配給 |
公開 | 1950年8月26日 |
上映時間 | 104分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
- 製作 : マキノ満男
- 企画 : 坪井与、柳川武夫
- 監督 : マキノ正博
- 原作 : 長谷川幸延
- 脚色 : 黒澤明
- 撮影 : 三木滋人
- 音楽 : 大久保徳二郎
- 製作 : 東横映画
- 上映時間 (巻数 / メートル) : 104分 (10巻 / 2,836メートル)
- フォーマット : 白黒映画 - スタンダードサイズ(1.37:1) - モノラル録音
- 公開日 : 日本 1950年8月26日
- 配給 : 東京映画配給
- 月形龍之介 - 市川段平
- 山田五十鈴 - 女房お春
- 月丘千秋 - 娘おきく
- 市川右太衛門 - 沢田正二郎
- 進藤英太郎 - 倉橋(作者)
- 杉狂児 - 兵庫市(道具方)
- 高松錦之助 - 徳次郎(狂言方)
- 加賀邦男 - 高島(役者)
- 原健作 - 太田(役者)
- 初音麗子 - 氷屋の婆さん
- 加藤嘉 - 引抜きの男
- 横山エンタツ - 医者
- 赤木春生(後の赤木春恵) - 浜の家のお房
1962年の中村鴈治郎版を観た時のブログ
監督 | 瑞穂春海 |
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脚本 | 黒澤明 原作 長谷川幸延 |
製作 | 大映京都撮影所 |
製作総指揮 | 税田武生 |
出演者 | 市川雷蔵 中村鴈治郎 |
音楽 | 高橋半 |
撮影 | 今井ひろし 照明 古谷賢次 |
編集 | 山田弘 |
配給 | 大映 |
公開 | 1962年9月30日 |
上映時間 | 86分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
- 企画 : 税田武生
- 監督 : 瑞穂春海
- 原作 : 長谷川幸延
- 脚本 : 黒澤明
- 撮影 : 今井ひろし
- 照明 : 古谷賢次
- 美術 : 加藤茂
- 録音 : 大谷巌
- 編集 : 山田弘
- 音楽 : 高橋半
- スチル : 松浦康雄
- 助監督 : 渡辺実
- 製作主任 : 小沢宏
- 製作 : 大映京都撮影所
- 上映時間 (巻数 / メートル) : 86分 (8巻 / 2,354メートル)
- フォーマット : カラー映画 - スコープ・サイズ(2.35:1) - モノラル録音
- 公開日 : 日本 1962年9月30日
- 配給 : 大映
- 市川雷蔵 - 沢田正二郎
- 中村鴈治郎 - 市川段平
- 高田美和 - おきく
- 田中絹代 - お春
- 山茶花究 - 兵庫市
- 上田吉二郎 - 引抜きの男
- 須賀不二男 - 倉橋仙太郎
- 深見泰三 - 医者
- 真城千都世 - 梳髪の女
- 浪花千栄子 - 婆さん
- 毛利郁子 - 丸髷の女
- 西岡慶子 - 小女
- 伊達三郎 - 大田
- 寺島雄作 - 徳次郎
- 近江輝子 - お房
- 水原浩一 - 辻
- 嵐三右衛門 - 興業師(A)
- 原聖四郎 - 金井
- 天野一郎 - かんと煮屋の亭主
- 石原須磨男 - 薬屋番(二)
- 浅尾奥山 - 薬屋番(一)
- 沖時男 - 巡査
- 岩田正 - 役者
- 菊野昌代士 - 興行師(B)
- 越川一 - 事務員
- 大杉潤 - 鶴次郎
- 木村玄 - 高島
- 丸凡太 - 電報配達
- 種井信子 - 新蝶々の女
意外と新しい。終戦後の創作。
『殺陣師段平』(たてしだんぺい)は、長谷川幸延による日本の戯曲、
1950年(昭和25年)製作・公開、マキノ正博(のちのマキノ雅弘)監督による日本の長篇劇映画、
1962年(昭和37年)製作・公開、瑞穂春海監督による日本のリメイク映画、
1962年(昭和37年)および1964年(昭和39年)製作・放送の日本のテレビドラマである。
1955年(昭和30年)にも、マキノ雅弘が『人生とんぼ返り』のタイトルでセルフリメイクしており、本項で詳述する。
戯曲の初演は1949年(昭和24年)、東京・有楽座での新国劇による公演であった。
1949年の有楽座、南座公演に出演した富士野蔦枝
初期の新国劇の頭取であり殺陣師であった実在の人物、市川段平の人生をモチーフに長谷川幸延が戯曲を書き下ろし、1949年(昭和24年)3月、新国劇自身が初演を行った。翌1950年(昭和25年)、本戯曲を原作に、黒澤明が映画脚本に脚色、マキノ正博が監督し、初の映画化となった。
1954年(昭和29年)10月、新国劇が東京・明治座で再演を行った際には、当初四幕の戯曲に行友李風作の『月形半平太』の劇中劇が加わり、五幕劇に書き換えられた。この初演の演出は長谷川幸延が行った。翌1955年(昭和30年)、マキノ正博改めマキノ雅弘が脚色・監督し、『人生とんぼ返り』のタイトルでセルフリメイクした。
1962年(昭和37年)には、瑞穂春海が3回目の映画化を果たした。
1969年(昭和44年)3月には、マキノ雅弘が、藤岡琢也の段平、瑳峨三智子のお春、津川雅彦の沢田正二郎という陣容、セルフリメイク映画と同じ『人生とんぼ返り』のタイトルで演出、名古屋の中日劇場で初演している。藤岡琢也版はその後も同タイトルで、1975年(昭和50年)に大阪・中座で再演され、2004年 (平成16年) には『劇団青年座創立五十周年記念作品』として津嘉山正種の段平、岩倉高子のお春、佐藤祐四の澤田正二郎で上演され、2006年 (平成18年) には再演、全国巡演された。
1925年(大正14年)、社団法人大阪放送局(現在のNHK大阪放送局)の嘱託に採用され、ラジオドラマを手がける[2]。
1939年(昭和14年)、小説家を志して仕事場を東京に移し、長谷川伸に師事する[1][2]。1940年(昭和15年)、『オール讀物』(文藝春秋)に掲載された『法善寺横町』が第12回直木賞に初めてノミネートされた[2]。1941年(昭和16年)、白井喬二の『大衆文藝』(大衆文藝社)に掲載された『冠婚葬祭』が第13回直木賞にノミネートされたが再び受賞を逃し、翌1942年(昭和17年)、新潮社の新潮社文芸賞を受賞した[1][2]。同年、大映東京第一撮影所(現在の角川大映撮影所)が幸延の小説を原作に『八処女の歌』を映画化、幸延作品初の映画化となった。直木賞は1954年(昭和29年)の第31回まで7回ノミネートされたが、最後まで受賞できなかった[2]。