2. 頭上の敵機 ( 132分 モノクロ 1949年 )
監督 : ヘンリー・キング
出演 : グレゴリー・ペック
いつ死ぬともわからない隊員の心情と、
指揮する者の苦悩が見事に描かれた空戦映画の名作。
ドイツへの白昼爆撃を成功させた米軍戦略爆撃隊の苦悩を描いている。
監督は「キリマンジャロの雪」のヘンリー・キング。
『頭上の敵機』(ずじょうのてっき、Twelve O'Clock High)は、1949年のアメリカ合衆国の戦争映画。監督は ヘンリー・キング。アメリカの第二次世界大戦参戦初期にナチス・ドイツ及びナチス・ドイツ占領下のフランスに白昼爆撃を敢行したアメリカ陸軍第8空軍の兵士を描いた本作は、1948年のサイ・バートレット(英語版)、バーン・レイ・Jr(英語版)作の小説『Twelve O'Clock High』を、原作者であるバートレットとレイ、ヘンリー・キング(クレジット無し)監督が脚本を担当し、グレゴリー・ペック、 ヒュー・マーロウ、ゲイリー・メリル、ミラード・ミッチェル、ディーン・ジャガーらの出演で映画化した作品である。
『頭上の敵機』は第22回アカデミー賞で4部門にノミネートされ、ディーン・ジャガーが助演男優賞を、トーマス・T・モールトンが録音賞を受賞している[2]。1998年にアメリカ議会図書館アメリカ国立フィルム登録簿に文化的、歴史的、芸術的に顕著な作品として登録されている。
監督 | ヘンリー・キング |
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脚本 | ヘンリー・キング(クレジット無し) サイ・バートレット(英語版) バーン・レイ・Jr(英語版) |
原作 | バーン・レイ・Jr サイ・バートレット 『Twelve O'Clock High』(1948年出版) |
製作 | ダリル・F・ザナック |
出演者 | グレゴリー・ペック ヒュー・マーロウ ゲイリー・メリル ミラード・ミッチェル ディーン・ジャガー |
音楽 | アルフレッド・ニューマン |
撮影 | レオン・シャムロイ |
編集 | バーバラ・マクリーン(英語版) |
製作会社 | 20世紀フォックス |
配給 | 20世紀フォックス セントラル映画社 |
公開 | 1949年12月21日 1950年11月14日 |
上映時間 | 132分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
興行収入 | $3,225,000 (アメリカ国内のみ)[1] |
フランク・サヴェージ准将 (第918航空群航空司令) |
グレゴリー・ペック | 城達也 | 大塚智則 |
ハーヴィ・ストーヴァル少佐 (第918航空群司令副官) |
ディーン・ジャガー | 宮川洋一 | 咲野俊介 |
ベン・ゲートリー中佐 (第918航空群先任将校) |
ヒュー・マーロウ | 家弓家正 | |
キース・ダヴェンポート大佐 (前第918航空群航空司令) |
ゲイリー・メリル | 小林修 | 勝沼紀義 |
カイザー大尉 (第918航空群軍医) |
ポール・スチュワート(英語版) | 和田文夫 | |
パット・プリチャード少将 (第8空軍司令) |
ミラード・ミッチェル | 久松保夫 | 木澤智之 |
ジョー・コッブ少佐 (第918航空群航空隊長) |
ジョン・ケロッグ(英語版) | 大塚周夫 | |
ジェセ・ビショップ中尉 (第918航空群航空機長) |
ロバート・パットン | 井上真樹夫 | 相原嵩明 |
マクレニー軍曹 (第918航空群司令部付下士官) |
ロバート・アーサー(英語版) | 宮本和男 | |
ジマーマン中尉 (第918航空群航空航法士) |
リー・マグレゴール | ||
バードウェル中尉 (第918航空群兵士) |
サム・エドワーズ(英語版) | ||
査問官 | ロジャー・アンダーソン | ||
トワンプリ―大尉 (第918航空群従軍牧師) |
ローレンス・ドブキン(英語版)[4] | ||
ケラー軍曹 (第918航空群守衛) |
ケネス・トビー[4] | ||
爆撃手 | ポール・ピセルニ[4] | ||
無線士 | ヘンリー・ローター[4] | ||
ホーホー候 (ドイツのプロパガンダ放送) |
バーリー・ジョーンズ[4] | ||
ナース | ジョイス・マッケンジー(英語版) | ||
第918航空群病院の患者 | ドン・ゴードン(英語版)[4] | ||
マケッソン中尉 (第918航空群兵士) |
リチャード・アンダーソン[4] |
フル動画
今回2度目
1949年、イギリスで休暇中のアメリカの弁護士で元アメリカ陸軍航空軍のハーヴィ・ストーヴァル(ディーン・ジャガー)
骨董屋で買ったジョッキ
被害甚大、未帰還多数
搭乗員ビビりまくりで転属願い続出
准将が出て来て部隊にテコ入れ
部下に聞き込み調査
「転属願いの処理に10日かかります」
指揮官自ら搭乗して猛特訓の10日間、そして出撃
戦果が上がってきたし損害も減少
地上オペレーターもこっそり搭乗して戦闘参加
かなりヤバい作戦
さすがに独本土ともなる防空体制ヤバい
ビビッて飛べなくなった
病んでる准将
損害1機のみ
想い出に浸りつつ
どうやら実在の人物を元にしてるらしい。
- フランク・サヴェージ准将(グレゴリー・ペック)
- 複数の航空群司令をモデルにしているが、映画中の第918航空群のモデルとなった第306航空群(英語版)の司令官だったフランク・A・アームストロング大佐が最も近い存在とされている[5]。"サヴェージ"の姓はアームストロング大佐がチェロキー系であることに由来したとされる。アームストロング大佐は第306航空群に赴任する前、第97航空群でも同様に再訓練と規律徹底の任務を担当しており、『頭上の敵機』の多くのシーンはこの第97航空群でのアームストロング大佐の体験によるものとされている。 アームストロング大佐の第306航空群での任期は6週間だった。
- 映画の後半で、サヴェージ准将がカタトニーに近い戦闘ストレス反応に陥ったのは、ニュートン・ロングフェロー准将に起こった実話による[5]が、精神崩壊に近い状態になったのは実際の症例と反し、多くの航空兵がさいなまれた過度のストレスを表現したものである。
Frank A. Armstrong - Wikipedia
- ハーヴィ・ストーヴァル少佐(ディーン・ジャガー)
- 第一次世界大戦に陸軍の飛行機パイロットとして従軍し、地上職の副官として復職したこの人物は、第一次大戦の撃墜王で、真珠湾攻撃の翌週に陸軍航空軍中佐として復職し、イギリス駐留の第8空軍の人事部次長となったウィリアム・ホワード・ストーヴァル(英語版)をモデルにしている。第8空軍ではストーヴァルは第一次大戦の戦友、カール・スパーツ将軍らと共に勤務している。
William Howard Stovall - Wikipedia
20世紀フォックスの資料によると、『頭上の敵機』の映画化権利のため20世紀フォックスは$100,000を、さらに追加で最大$100,000を「ブッククラブ条項」のために支払ったとされている。20世紀フォックスの映画プロデューサーダリル・F・ザナックは、ウィリアム・ワイラー監督がパラマウント映画での映画化のため、『頭上の敵機』に興味をもっていることを知り、この高額な権利を買うことを決断している。もっとも、ザナックは1947年にアメリカ空軍が撮影に協力する確信を得た時点で最終的な判断をしている[8]。『頭上の敵機』ではドイツ側で撮影されたものを含む実際の戦闘中の映像が使用されている[8]。『頭上の敵機』の多くの部分はエグリン空軍基地(英語版)およびフロリダ州フォート・ワートン・ビーチで撮影された[9]。
脚本を担当したサイ・バートレットとバーン・レイ・Jrは自身の第8空軍での経験を映画に活用している。第8空軍司令部でバートレットはサヴェージ准将のモデルとなったアームストロング大佐のそばで勤務した経験をもつ。映画中の第918航空群は、欧州戦線で長く第8空軍の主力を務めた第306航空群をモデルにしている[注 2]。
重爆撃機作戦に従事した元兵士たちは『頭上の敵機』は、実戦を忠実に再現した唯一のハリウッド映画である、とコメントしている[10]。1948年の映画『戦略爆撃指令(英語版)』と併せ、『頭上の敵機』は勧善懲悪的、楽観的な戦争映画の枠を外れ、戦争によって失われる人命と向き合う迫真のリアリティを追ったターニングポイントとされる。 この二つの映画はP-51の様な航続距離の長い戦闘機が出現する以前、第二次大戦参戦直後の陸軍航空軍の戦闘ドクトリンに従い、護衛戦闘機なしで白昼爆撃を行った部隊を描いている。サイ・バートレットとバーン・レイ・Jrのアメリカ空軍を舞台にした1950年代の『ミサイル空爆戦隊』、冷戦時代の『ロケット・パイロット』は『頭上の敵機』の筋書きをなぞった映画とされている。
映画の前半で登場するB-17を胴体着陸させるシーンのため、ハリウッドの有名なスタントパイロットだったポール・マンツには前代未聞の$4,500の出演料が払われた[11]。マンツとトールマンツ航空を経営していたフランク・トールマン(英語版)は、自叙伝のなかでB-17を1人で着陸させた例は多々あるが、他の搭乗員なしで、1人で離陸させた例は他にはなく、出来るかも分らなかった、と述べている[注 3]。 この胴体着陸のシーンは1962年の映画『戦う翼』でも使用されている[14]。
イギリス空軍アーチベリー基地の爆撃機用飛行場のロケ地はキング監督自身が自ら所有する飛行機で1949年2月から3月にかけて約16,000マイル(25,600 km)を飛行して探しだしたものである。キング監督は1949年3月8日にエグリン空軍基地を訪ね、デューク・フィールド(英語版)の名で知られるエグリン基地本体から数マイル北にある第3予備地が主要な撮影地と決定している。ここには管制塔を含む15棟の建物がアーチベリー飛行場を模すために作られた[6][15]。アラバマ州マクセル空軍基地に勤務していた『頭上の敵機』のテクニカルアドバザーであるジョン・デラッシー大佐はアラバマ州デールヴィル近郊のオザーク飛行場をロケ地として推し[15]、キング監督はエグリン基地の明るく塗装された滑走路が戦時下に敵機から発見されにくいよう黒く塗装された戦時下のイギリスの滑走路としてふさわしくないことから、オザークを、胴体着陸を含むB-17の離陸・着陸の撮影に使用した。撮影隊がオザークに到着した際、草生したオザーク基地がハーヴィ・ストーヴァルの第二次世界大戦中を思い出すシーンにふさわしいとされ、このシーンの撮影にも使われた[6][16]。
イギリス・オックスフォードシャーにあるイギリス空軍バーフォード・セント・ジョン基地でも一部の背景の撮影が行われたほか、エグリン基地やフォート・ワートン・ビーチでもロケが行われている[17]。撮影には、エグリン基地にあったQB-17標的機を改造したもの、アラバマやニューメキシコで保管されていたものから12機のB-17が使用された。この中には1946年のビキニ環礁の核実験に使用され、高レベルの放射線を発する機体があり、これら機体の撮影への使用は最低限とされた[6]。
『頭上の敵機』は1949年4月から7月にかけて撮影された[18]。カラーで撮影することが計画されていたが、連合軍とドイツ空軍が実戦中に撮影したフィルムを違和感なく入れ込むため、全編が白黒撮影とされた[8]。
どうしても飛行機飛ばして鉄砲撃って爆弾落とす絵にばかり気が行くけど、敬礼答礼の所作に人物の心理を投射してたりして、軍人のカタルシスに向けた映画といった感じ。
戦争というのは人の組織を動かす仕事だったりするから、人事というのはかなり重要な役職だったりするんだろうなあと。まあ企業についても同じなんだろうけど。そう考えると製作した20世紀フォックスの経営者の心情なんかも見え隠れしてたりして。
ポンコツチームを指揮官が育成して勝利に導く展開と言えば