春の嵐。 | One more please , ShootingSTAR

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日々流れるだけじゃダメなんだ。



たとえば、

思い出の保存方法は人それぞれだと思う。


一つのファイルの中に個別にしてる人、

一つのファイルに上書き保存していく人、


私は前者です。


たとえば後者の人だって、

なかなか上書き出来ない記憶だってあるだろうし。


人間の頭はとっても都合よく出来ているらしく、

ちょっと苦い記憶も、ある程度の美化は可能らしい。

超記憶症候群とかまぁうまいこと解明されているわけではないけど、

そういう一種の脳の障害(と言っていいのだろうか。)を持つ人を除けば、

大体みんな、過去のことはある程度笑い飛ばせる。


笑い飛ばせない記憶も、そりゃあるけども。


たとえば前の彼女にぼろくそにふられただとか、

でも付き合ってた頃は幸せだったなぁとか、

そういうのは時間がたてばある程度笑い飛ばせる。


でもたとえば身内の死だったり、

そういうもんは乗り越えるのが難しい。

目の前で誰かが死んだり、

そういう記憶はなかなか上書き出来ない。


気がする。



そう、あくまでも今日考えていることは憶測。

私自身が経験したわけではない。


けれど、私は今、自分自身に憶測や想像でもいいから考える必要性を感じている。



死んだ人間の誕生日について。


私の身内で亡くなっている人間というのは実のところ、父親しかいない。

死因は病気。アバウトに。

病名とか聞いた気がするけど、

なんかもうそんなことは覚えていない。

身体がボロボロだっていうのは明らかだったし。

そりゃ病死でしょうなぁっていうあっさりとした感じだった。


そんな父親の命日は、2月23日。


命日っていうのは、その人の人生最後の日なわけで、

その人が死んだ日だ。

その逆、その人がこの世に生を受けた日っていうのが、誕生日。


死んだ人間は年をとらない。


それは間違いなく事実だから、誕生日の意義やらを考えてしまうけど、

自分ではない他人の誕生日っていうのは、

その人がこの世に生を受けたことを感謝する日だと私は考えているので、

その人が死んでいようとなかろうと、やっぱり意味のある日なんだよね。


そんな父親の誕生日は、7月31日。


母親は、

もう死んでるんだから誕生日なんて別になんの意味もない、

って言うけれども、

やっぱり私にとっては意味があるもんで、

父親が死んでからも、7月31日が近付けば父親のことを思い出す。


もし、彼が生きていたら、今年で51歳になるはずだった。



と、ここまではまぁいい。

これは完全なワタクシゴト。

長い長い前置き。



私がどうしてこんなことを考えてるかって、

それは私の好きな人の大事な人の誕生日が近付いていることに気付いたからだ。



他人が他人にとっての他人のことを考えるのは、

とても遠回りだし、実際その第三者に会ったことも、今回のケースではないわけだから、

一体何の意味があるのかと問われたらまぁ、黙るしかないし、

うわぁ、超エゴの匂い、くっせー。とか、私自身感じているんだけど、


感じているんだけど、

考えてしまうもんは考えてしまうんだから仕方ない。


でも私が考えているのはその第三者のことじゃなくて、

やっぱり私の好きな人自身のことだから、

それでいて自分自身のことでもあるから、

尚更偽善臭やエゴ臭がして、自分自身に嫌気がさしそうなんだけど、

あえてここは思考を巡らせてみようと思う。



私の好きなあの人は、

記憶を個別収納しておくタイプだと思う。


それは別にいいことだと思う。

忘れないことは悪いことじゃないし、

忘れられないのだとしても、それは決して悪いことじゃない。

その過去があるから今があると思えば、

別にみんなそうなんだからなんてことはない。


あの人はその記憶で苦しんだと思うけど、

苦しんだのも過去の話で、今はひりひりする程度で済んでるかも知れない。


でも、でもでもでも、


そのひりひりは仕方ないものだし、

あの人にとってある種大事な痛みだとも思うんだけど、

それを傍で見ていてどうすることも出来ない私はどうしたらいいんだ。


と、いうエゴのお話し。


や、傍にいるだけでも違うのかもしれない。

だけど、

傍にいて、でもこの痛みを邪魔しないで。

なんて、そんなのはわがままだ。


勝手に浸っててもいいですけど、

その間それを見ていることしか出来ない私はどうしたらいいんですかあああぁ!!!!!


まぁ、そのひりひりを感じているんだろうな、というのも、あくまで憶測だけれども。


なんで人間って微妙なところで微妙に距離をとりたがるんだろう。

別にいいじゃん、その領域入れてよ。

ってところで、なんとなく距離感を感じさせる。

え?何その遠慮。みたいな、ね。


まぁ、その距離感も勝手に感じているだけかもしれないけれども。



私があの人の立場にいたら、今、何を思うだろうか、と。

そんな想像をしてみる。


きっとひりひりしている。

もしかしたらずきずきかもわからない。


もう過去は過去だ。

でも上書きなんて出来なくて、

まだ辛くて、

でも自分はまだ生きて、生活をしなければいけないから、

そんなことを思いながら、

あの人は今日も呼吸してるかもしれない。


後悔しているかもしれない。

手首の傷の理由はそれかもしれない。

どうすることも出来なかったのかもしれない。

どうして自分じゃないんだって思ったかもしれない。


そんなことを抱えながら、

表面上では何もなかったかのように生活しているのかもしれない。



どうしたら君は幸せになれるんだ、と、あの人に問いたい。



想像した諸々の気持ちは、私が経験したことのないものだ。

それでも今現在を生きているあの人は、

何を幸せの定義とするんだろうか。


そのひりひりは止めようのないもので、

私だったら大事にしたいもので、

それはいい、それはいいんだけど、

そうじゃなくて、幸せになってほしいだけなんだって私は君に。


ちくしょう、

幸せになっておくれよ。


私が出来ることならなんでもするっつーの!ばーかばーか!



あー、

やっぱりまともに考え始めると頭がオーバーヒートする。


最近頭の体力落ちたな。

精神力、とはちょっと違う。頭の体力。



うーん。




存在していたものや人がなくなるっていうのは、

ものすごいことだ。


なくなって気付くこともある。

だからこそ後悔する。


そんな大きな事件なんかなくったって、

何かがなくなったりすることなんて、

日常茶飯事だ。

別に忘れてしまう程度のものなんて沢山ある。


ある種、身体に染みついた何かがなくなるっていうのは、

人でも物でも、凄まじい衝撃だと思う。

それこそ、その何かがなくなったことによって生まれた衝撃は、

その何かに変わって自分自身にしみこんでいくと思う。


あの人が、どうやって今日まで生きてきたのか、私は知らない。


きっと一生かかったってそれを全て知ることは出来ないだろうけど。


知らないけど、だからこそ、想像して想像して、

感じ取って組み立てて、物語にするしかないんじゃなかろうか。


最終的にはやっぱそこなんだけど。



私は、物語という武器をもって、

あの人のその痛みに対してどうしてあげたいんだろう。


第三舞台の鴻上氏は、「涙をふくハンカチのような」と形容したけれど、

私はどうしたいだろうか。



やっぱり最初から何も変わっていない。


私は好きな人や周りに対して、

かっこつけたくて舞台を、役者を選んだ。


誰かの為にかっこつけたり、

それはつまり誰かにいいかっこをしたくてってことで。


それはある意味自分の為で。


でも全ては自分に繋がっていくんだから当然なことで。




私は、

物語という武器をもって、

あなたに愛を伝えたいのだ。




はー、

結局こうなる。


でも、本音。



あたまいてぇ。

寝よう。