クラシック 珠玉の名盤たち

  ベートーヴェン:交響曲第4番 変ロ長調

Ne-dutch


衝撃的な「エロイカ」初演の翌年となる1806年の夏、ベートーヴェンは、すでに取りかかっていた第5番の筆を止めて第4番を一気に書き上げた。ベートーヴェンにしては珍しく、書き直しがほとんどなかったという。ここで映画「アマデウス」の有名なシーンを思い出す。モーツァルトの自筆譜に書き直しが全くないことにサリエリが愕然とし、彼我の才能の差を自覚して神を呪うことになる場面である。恐らくベートーヴェンもモーツァルトと同じように神の啓示を受けるが如く、完璧な姿をスラスラと譜面に残すことができたのであろう。二人の違いは、忙しいモーツァルトは曲ができるとすぐ、他の曲にとりかかることになるが、ベートーヴェンは一旦完成させた後、何度も推敲を重ねる時間が十分にあったということではないか。以上は僕の推測である。ところで、この曲を早く書き上げたのには理由がある。1806年8月、ベートーヴェンはオーバー・シュレージェン地方にあるオッペルスドルフ伯爵邸を訪れている。伯爵は自前のオーケストラにベートーヴェンの交響曲第2番を演奏させて歓待し、ベートーヴェンに「第2番のような交響曲を作曲して欲しい」と依頼した。高額な報酬の対価の一つに、半年間の独占使用権がついていたことが興味深い。当時、すでに著作権を金額に換算する考えがあったのだ。ベートーヴェンは注文どおり、第2番とほぼ同じ編成(フルートは1本)で、曲調も同様の明るい曲を仕上げたのだが、この曲の明るさは、かつての教え子ヨゼフィーネ・ブルンスヴィックとの恋愛と無関係ではあるまい。ヨゼフィーネは、歳が倍くらい離れた夫に先立たれ、ベートーヴェンと再会すると、二人の恋の炎が再燃したのだった。しかし、やはり貴族と平民の結婚は許されるはずはなく、結局、ヨゼフィーネは男爵と再婚してしまう。ベートーヴェンが共和主義者になったのは、こういった事情も影響しているのではないだろうか。ベートーヴェンの死後、送ることのなかった宛先不明のラヴレターが見つかった。手紙の中で「不滅の恋人」と呼んだ相手は誰のことなのか、様々な説があるが、文面を読む限り、ヨゼフィーネであることは間違いないと思うし、そうであって欲しい。

さて、第4番は短期間に一気に書き上げたとは思えないほど完成度の高い曲である。存在感が薄いのはあまりに偉大な第3番と第5番の間に位置しているからで、シューマンが評した「北欧神話の二人の巨人に挟まれたギリシャの美しい乙女」とは、このチャーミングな名曲の特徴をよく表している。古典的な様式に収まっているように見えるが、第1楽章の再現部の終わりの部分では2つの主題がからみ合ったり、スケルツォでトリオが2回出現するなど、実験的な試みが見られる。ベートーヴェンは意外と慎重なところがあり、新機軸を打ち出す前に、まるで反応を確かめるかのように、小出しに様子を伺うようなことをするのである。不安をかきたてるような第1楽章の序奏、2つの主題が転調しながら繰り返される第2楽章、何とも言えないリズム感の第3楽章、不協和音を盛り込んだ緊迫感のある第4楽章と、ロマン派の要素満載の、時代を先取りした革新的な名曲の誕生だ。しかし、1807年3月に行われたロプコヴィッツ邸での初演では、エロイカのような曲を期待していたのか、この私的な演奏会に招かれた招待客は、規模も作風も古典回帰的なスタイルだと、戸惑いを見せたという。一方、11月にブルク劇場で行なわれた公開初演は好評だったようだ。


●聴き比べ

第1位:アンドレ・クリュイタンス/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1959年

ベートーヴェンの第4番のレコードはクリュイタンス盤を買おう。確か中学生になって間もない頃だったと思うが、このくらいの時期から指揮者を意識してレコードを選ぶようになった。と言ってもこのときの理由は単純で、クリュイタンスの第7番を持っていたので同じシリーズに第4番と第8番が入ったレコードがあることを知ったから。クラシックを聴かない担任の先生に、「クラシックの演奏は指揮者によって全然違うから、レコード選びは指揮者が一番重要」などと偉そうに語っていたことが恥ずかしい。CDになって買い直したこのディスクを聴くと、結果的に、最初にこのレコードを選択したのが正しかったことがわかるのだが。CDになっても驚異的な録音状態の良さが保たれており安心。

さて、この演奏。第1楽章は不安定な序奏と確信に満ちた主部の対比がすばらしい。木管が重要な意味な持つ第2楽章は、粒揃いの名手が集うベルリン・フィルの層の厚さに驚くばかり。第3楽章と第4楽章のリズム感は抜群で、クリュイタンスのテンポ設定は完璧と言える。世界最高水準のオケの魅力を存分に発揮させるクリュイタンスの手綱さばきは、まるで魔術師のようだ。ベートーヴェンが貴族趣味的な要素を色濃く残した最後の作品となったこの曲にふさわしい、気品に満ちた格調高い名演。(写真はLPのジャケット)


第2位:ブルーノ・ワルター/コロムビア交響楽団 1958年

ワルターの序奏はどれも格別である。特に長い序奏は、壮大なクレシェンドを築き、これから始まる舞台の幕開けに向けて期待感が最高潮に達する。ワルターのベト4が名演中の名演となることは、演奏する前から誰もが確信したことであろう。そしてこの演奏も期待を上回る、すばらしいものとなった。第2楽章は、ワルターにしては少し淡々とした印象だが、かえって温もりが感じられるのは不思議である。全曲を通じて完璧な演奏にワルターの偉大さを再認識する。


第3位:ジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団 1963年

序奏が秀逸。引きずるようなヴァイオリン、恐ろしげな低弦、不安をかきたてるような木管が不思議な浮遊感を醸し出しながら少しずつ雰囲気を変えていく。主部に入ると切り裂くような弦楽器が爽快だ。第3楽章、第4楽章と、重厚感あふれる堂々とした進軍ぶりだ。そう、第4番は「谷間に咲く一輪の花」ではなく、エロイカ後の交響曲を代表する壮大なシンフォニーであることを示している。


第4位:カール・ベーム/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1972年

ウィーンの香り漂う優雅な調べに身を委ね、至福のときを過ごす。ベーム/ウィーン・フィルが生み出すベートーヴェンは、自然に身体の隅々まで幸福感を浸透させてくれる。強烈な個性を前面に押し出すベームと、日本の古典芸能の奥義を思わせるように極めてオーソドックスな演奏の中に究極の真理を求めるベーム。ベームはその二面性を魅力とするが、この演奏は後者のスタイルの典型と言える。


第5位:ルドルフ・ケンペ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 1973年

恐る恐る辺りを覗いながら忍び寄るように開始される序奏がすばらしい。あまりの遅さに音が崩れそうになる一歩手前の絶妙なテンポに感心する。不安感が絶頂に達したところで、提示部に入るが、ここで強烈なルフトパウゼ。展開部になっても見せ場が盛りだくさんで愉しめる。第2楽章は、木管と弦のからみが美しい。快活なスケルツォとフィナーレも、この曲の魅力を余す所なく伝えてくれる。


第6位:ヨーゼフ・カイルベルト/ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団 1958年

何とスケールの大きい第4番なのだろう。優しく開始される序奏が主部の迫力を惹き立てる。第2楽章、第3楽章に入っても重厚さは健在。そして圧巻はフィナーレ。こんなに力強い第4楽章は聴いたことがない。たくましい弦楽器に、味わい深くて太い音色の木管、当時のハンブルク・フィルはこんなにも名手ばかりだったのかと驚きを隠せない。とても1958年の録音とは思えないテレフンケン社の技術も驚異的だ。すべてを手に入れたカイルベルトの代表的名盤だと思うのだが、あまり話題に昇らないのが不思議である。


第7位:ピエール・モントゥー/ロンドン交響楽団 1961年

モントゥーの全集の中でも評価の高いのがこの第4番。確かにこの曲の持つ魅力を思う存分愉しめる名演だ。力強さを十分に持ちながらも格調高い優雅な演奏スタイルが実によく合う。ただひたすら明るい第4番を難しいことを何も考えずに曲に浸れて幸せな気分になる。


第8位:カール・シューリヒト/パリ音楽院管弦楽団 1958年

いいかい、第4番はこのように演奏するのだよ。まるでシューリヒトがそう言っているような気がする。大見得を切ることも、奇をてらう必要もない。自然に、素朴に、清廉に曲に向き合えば良いのだ。さり気なくやっているようで、実は緻密な計算のもと、曲の本質をよくとらえた稀有の名演であることに間違いない。


第9位:ギュンター・ヴァント/北ドイツ放送交響楽団 2001年

2001年4月にハンブルクのムジークハレで行なわれた定期演奏会の録音。モーツァルトのポストホルン・セレナーデとともに演奏され、ヴァント自身が演奏の出来を気に入り、「自らの90歳記念にリリースしたい」という意向で急遽発売されもの。演奏会の後、ヴァントが語った言葉がライナーノーツに記載されている。「ベートーヴェンは本当に難しい。とくにこの第4番。難しいのだけれど、難しいと聴く人に思わせてはいけない。難しいことを感じさせないように聴かせるのは、とても難しい」 とても深い言葉である。ヴァントの演奏がなぜこれほど自然に我々の心を癒してくれるのか、理由がわかった気がする。このCD発売の翌月、新世紀の始まりをしっかりと見届け、巨匠は静かに息を引きとる。あまりに多くの贈り物を遺してくれたことに、ただ感謝の言葉しかない。


第10位:ウィルヘルム・フルトヴェングラー/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1943年

戦時下に、ドイツ帝国放送局(RRG)によって放送された貴重な録音の一つ。この録音が行なわれた1943年6月は、スターリングラード攻防戦で敗退したドイツ軍が、史上最大の戦車戦と言われたクルスク会戦を控えていた時期。このような時期に、最高の演奏を最新の技術で録音・放送する余裕があるとは、音楽に関してはとてもヨーロッパにはかなわない。

さて、この盤の録音は聴衆なしで行なわれたため、ライヴのような気迫に欠けると言われることもあるが、そんなことはない。凄まじいまでのティンパニー、迫力の金管、うねるような弦と、フルトヴェングラーの魅力を伝えるには十分過ぎる演奏だ。聴衆の雑音がないのも嬉しい。第1楽章の序奏の終わり、すすり泣くようなヴァイオリンが印象的。宇野功芳氏が「天馬空を行くような進行に魅せられる」と感嘆した終楽章に息を飲む。

to be continued