クラシック 珠玉の名盤たち

  ベートーヴェン:交響曲全集

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● ベートーヴェンの交響曲について

クラシック音楽をジャンル別に並べる場合、必ず交響曲が筆頭になるが、これはベートーヴェンの功績ではないだろうか。ベートーヴェンのすごいところは、決して交響曲という形式を確立したわけではないのだが、常に交響曲に革新的な要素を盛り込み、将来、交響曲を発展させるための土台を築き上げたことだ。全9曲のほぼすべてに、新機軸を盛り込んでいる。ベートーヴェンの交響曲9曲が「不滅の金字塔」と呼ばれる由縁である。

ベートーヴェンの交響曲の演奏は大きく4つに分類される。パターン1は、当時の楽器・奏法で演奏するもので、パターン2は、現代の楽器で当時の奏法。パターン3は、現代の楽器・奏法だが、基本的にオリジナルの楽譜を使用、パターン4は、指揮者などが、勝手に大幅に楽譜に手を加えたもの。パターン1の代表はブリュッヘン、パターン2はアーノンクール(ウィーン・コンチェントゥスムジクス盤を除く)が有名。決してメロディメーカーではないベートーヴェンの交響曲は、ピリオド奏法と言われる当時の奏法も合っていて、重すぎなく、愉しく聴ける。ブリュッヘンの古楽器演奏は、軽快なティンパニの響きとくすんだ木管の音色が何とも心地良い。アーノンクールは、クセの強い指揮者と言われるか、ベートーヴェンが聴いたら、そうは思わないであろう。30年くらい前までは、パターン4が主流だった。日本に大量の改訂版を持ち込んだのは、わが国の指揮者の草分け的存在、近衛秀麿(あの近衛文麿の弟)。「バカな指揮者が下手なオケを振っても上手く聴こえるように改訂してあるんです」とか言っていたそうな。今はほとんどがパターン3だが、それでも指揮者やオーケストラによって全然違ってくるのが、ベートーヴェンの交響曲の面白いところ。ブルックナーほどではないが、聴き比べをするのが、本当に楽しい。

お薦めの全集を録音年代順に並べてみる。


● 珠玉の全集たち

アルトゥーロ・トスカニーニ/NBC交響楽団 1949-1953年

この時代を代表する指揮者と言えば、フルトヴェングラーとトスカニーニ。大雑把に言ってしまえば、ドイツ的、イタリア的ということになるが、トスカニーニの演奏は、甘ったるいカンタービレ的なものではなく、シャープでキレのある味わいが魅力。トスカニーニのこの全集では、イタリア的色彩が残る第1番、第2番だけでなく、第3番以降も名演ばかりである。モノラル録音なのは仕方がないが、この時代としては録音状態は良い。20世紀を代表するベートーヴェン交響曲全集であることに誰も異論を挟まないであろう。


オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団 1955-1968年

この全集もすばらしい。僕の大好きな第7番が3つ(55年盤、60年盤、68年盤)も入っていて聴き比べができる。55年盤は「迫力」、60年盤は「雄大」、68年盤は「荘厳」といった感じでどれも聴き応え十分。序奏に特徴のある60年盤、終楽章で極端に遅いテンポをとる68年盤と、クレンペラーのスタイルの変化を愉しめる。晩年、ワルターの演奏を聴いたクレンペラーは「20年前と変わらないね」と皮肉を込めて言ったところ、ワルターは褒め言葉と受け取ったというエピソードがあるが、二人の姿勢の違いを象徴している。


カール・シューリヒト/パリ音楽院管弦楽団 1957-1958年

この全集に収められている第九は、フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管盤とともに、第九の名演の双璧をなす存在。それだけでも価値のある全集だが、全曲を通じて格調の高い、旧き良き時代を感じさせる名演ばかりである。仕方がないこととは言え、録音状態が残念。


アンドレ・クリュイタンス/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1957-1960年

ここで問題。ベルリン・フィル初のベートーヴェン交響曲全集を録音したのは誰でしょう? フルトヴェングラー? チェリビダッケ? カラヤン? いやいや、ベルギー生まれのフランス指揮者、アンドレ・クリュイタンスなのである。カラヤン色に染まる前の重厚さと格調の高さを兼ね備えた、すばらしい全集を遺してくれたクリュイタンスに感謝。

ジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団 1957-1967年

真面目で、誠実で、実直で、冷静で、厳格で、知的なセルの性格をすべて体現した全集。しかもこの全集の凄いところは、9曲すべてが完璧で非の打ち所がない名演ばかりだということだ。一方で、否定的な意見も少なくない。曰く、「精密機械のよう」「温かみがない」「つまらない」「所詮アメリカのオケ」…そうですか、結構です、そのように言う人は、どうぞカラヤンの全集を聴いてください。


ブルーノ・ワルター/コロムビア交響楽団 1958-1959年

コロムビア・レコードは、半ば引退していたワルターを破格の条件で口説き落とし、ワルターが得意とするレパートリーのステレオ再録音という画期的なプロジェクトを開始した。この録音のために、西海岸の演奏家を集め(当時、ワルターはカリフォルニアに在住)、コロムビア交響楽団なる覆面オーケストラを編成した。ワルターの体調を考慮してスケジュールは余裕を持たせ、音響に優れたアメリカン・リージョン・ホール(American Legion=米国在郷軍人会という、時代がかった名称が興味深い)において、最高水準の録音技術で収録された音源は歴史的遺産となった。本プロジェクトの皮切りとなったのが、このベートーヴェン交響曲全集。ロマンティシズムあふれる情緒豊かな名演ばかりで、特に偶数番の評価が高い。


フランツ・コンヴィチニー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 1958-1961年

もっと評価されるべき、隠れた名盤。格調高い重厚な演奏に、ベートーヴェンのすばらしさを再確認することができる。全曲ステレオ録音なのもうれしく、録音状態も上質。さすが東ドイツが誇ったドイツ・シャルプラッテンだ。この国営レコード公団の消滅は、東西ドイツ統一の唯一の汚点と言える。


カール・ベーム/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1970-1972年

聴き比べする必要もなく、ベートーヴェンの交響曲全集を一つだけ持っておきたいと考えるのなら、この全集を買っておけば間違いない。全曲を通じてオーソドックスな名演ばかりである。ウィーンフィルの美しい響きを堪能できる。


ルドルフ・ケンペ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 1971-1973年

ベームの全集の次にお薦めを挙げるとすれば、この全集。前述の分類で言うとパターン4からパターン3への移行期といったところ。独墺系オーケストラが一番輝いていた1970年代の演奏を代表する名盤である。どの曲も重厚かつ深遠な名演ばかりだが、特筆すべきは第6番と第7番。

さらにこの全集がビュルガーブロイケラーで録音されたことにも注目したい。元はビアホールであったが、音響の良さとガスタイクホールの隣という立地からミュンヘン・フィルのセッション録音にたびたび使用されたこのホールは、ヒトラー暗殺未遂の舞台になったことで有名だ。会議に出席するために演説を早く切り上げたおかげで難を逃れたヒトラー。予定どおり演説をしていればホロコーストも原爆投下もなかったのに、という思いを巡らせてしまう。


ヘルベルト・ケーゲル/ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 1982-1983年

ケーゲルらしい、渋く、冷たく、暗い東ドイツ的なサウンドである。新しい発見を随所に見せてくれる、貴重なこの全集は必聴もの。


ニコラウス・アーノンクール/ヨーロッパ室内管弦楽団 1990-1991年

変わった演奏に接したい方にお薦め。どの曲も高速演奏だが、決して軽くはなく(むしろ重厚感があると言っても良い)、200年前の演奏スタイルに思いを馳せることができる。当たり前のことだが、当時はクラシック音楽などというジャンルはなく、ベートーヴェンは新進気鋭の人気アーティスト。こういう演奏で聴衆の喝采を得ていたのか、と愉しみながら鑑賞できる。

ところで、アーノンクールは、この全集で、トランペットだけは当時のナチュラル・トランペットを使用している。これは、ファンファーレをパワフルなモダン・トランペットで吹くにはバランスを崩さないように抑えめに奏しなければならないという難点があるため、ナチュラル・トランペットで高らかに鳴り響かせたいというアーノンクールのこだわりによるもの。


朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団 1996-1997年

朝比奈によるベートーヴェン交響曲全集の録音は8回を数える。これは世界最多回数記録で、次点のカラヤン(4回)を大きく上回る。僕の持っている全集は6回目の時のもので、朝比奈/大フィルコンビによる極上のサウンドを堪能できる。


フランス・ブリュッヘン/18世紀オーケストラ 2011年

1981年、ブリュッヘンは「18世紀のための」オーケストラを創設した。当時の楽器の演奏を完全にマスターした楽団員を自ら選定し、当時の音楽を当時と同じように届けたいという理想を実現した。おかげで21世紀に生きる我々を、まるでタイムマシンに乗るように、旧き良き憧れの世界に誘ってくれる。なんとすばらしいことだろう。