クラシック 珠玉の名盤たち

  ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調

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● 聴き比べ(続き)
第16位:ギュンター・ヴァント/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団〈ハース版〉2000年
ヴァントのブル8の録音は9種類あり、最晩年の2000年〜2001年に演奏された北ドイツ放送響盤、ミュンヘン・フィル盤、ベルリン・フィル盤の3つは、いずれも評価が高い。中でも、このミュンヘン・フィル盤を一番に推す声もあるが、僕はベルリン・フィル盤には及ばないと思う。確かにアダージョ楽章のクライマックスからフィナーレにかけての高揚感はすばらしいが、第1、2楽章は弛緩気味で、緊迫感にやや欠ける。演奏時間はベルリン・フィル盤に比べて2分程度長いが、これは最後の拍手が含まれているから。第1、2楽章は20秒ほど長いものの、第3、4楽章はほぼ同タイム。ヴァントの正確な時の刻み方は驚異的である。ところで3日間行われたこの演奏会の最終日でアクシデントが発生した。第3楽章の演奏中に、ヴァントが倒れそうになったのだ。楽団員に支えながら音楽は続き、無事、最後まで演奏しきることができたとのこと。感動的な演奏会になったようだが、この盤は2日目の録音なのが少し残念。

第17位:ギュンター・ヴァント/北ドイツ放送交響楽団〈ハース版〉 1990年
1990年の秋、サントリーホールでは大変なことが起きていた。2週間の間に、チェリビダッケ/ミュンヘン・フィルとヴァント/北ドイツ放送響のブル8の名演が相次いで行われたのだ。同じ1912年生まれのブルックナー指揮者の競演である。話題にならないはずはない。勝負をつけるようなことではないが、幾分かチェリビダッケの方が注目を浴びる結果となったようだ。もちらんヴァントも決して負けてはいない。サントリーホールが誇る残響のすばらしさを十二分に活かした歴史的名演となった。この瞬間に立ち会うことができた人は何という幸運の持ち主なのだろう。さらに特筆すべきは録音の良さ。低弦とティンパニーが、ずしん、ずしんと地鳴りのように響いてくる。輝かしい金管も一粒一粒精確に再現されている。ところで、この録音は日本以外でも聴かれているのであろうか。世界的な評価が気になる。

第18位:リッカルド・シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団〈第2稿 ノヴァーク版〉1999年
15年に亘る全集録音の最後にふさわしい、隠れた名盤である。若かったシャイーも46歳になり(それでも十分若いが)、円熟味を増し、音楽の厚みに磨きがかかった。開始部分の重厚さを見よ。どこまで意図したかは知らないが、第8番を最後に持って来たのは大正解と思う。そしてシャイーらしい華やかさも健在だ。暗くなりがちな第1楽章も晴れやかな気分にさせてくれる。スケルツォも大家風に演奏し堂々としたものだ。アダージョはただひたすら美しい。こういう演奏はイタリア人にしかできないであろう。フィナーレは、最初こそ控えめな印象だが、徐々にスピードが上がるとともに広がりが増していき、圧倒的な終結部に至る。シャイーにこんな巧者匠みな技があったとは。第8番はカットのないハース版が僕の好みなのだが、シャイーは楽譜をいじっており(特に第4楽章)、通常のノヴァーク版とは少し印象が違う。このノヴァーク=シャイー版、いいかも知れない。

第19位:ギュンター・ヴァント/北ドイツ放送交響楽団〈ハース版〉1993年
ヴァント/北ドイツ放送響のブル8の録音はなんと4つもある。さすがに息の合ったコンビの演奏だけに名盤が多い。中でもこの1993年の演奏が高い評価を受けているが、僕は前述の東京公演盤の方に軍配をあげる。もちろん、この演奏もすばらしい。ヴァントが一番脂の乗りきっていた頃で、オケも意図をよく理解し、ある意味、完璧な録音と言えるであろう。ところで、この盤のライナーノーツに、アダージョのクライマックスにおけるシンバルについて、ヴァントが語っている箇所が載っていて興味深い。第7番のシンバル追加を正当化する理由としてよく挙げられる「では第8番はどうなのか」という意見への反論なのだが、「人からあれこれ言われるのが嫌だったのでは」と片付けている。確かにブルックナーは人の言うことを気にする性分だが、さすがにこれはないでしょう。

第20位:オイゲン・ヨッフム/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団〈第2稿 ノヴァーク版〉1964年
冒頭から強めの音で荒々しく攻める。こういう始まり方はたまらない。一音、一音、短く切るように進んで行くが、息の長いオーボエの辺りから落ち着きを見せる。やや前のめりの感はあるが提示部だけで聴き応え十分。スケルツォは、何と言っても金管の鋭い響きが良い。アダージョは美しいことこの上ないがクライマックスに向かって急速に壮絶さを増す。そしてフィナーレは、若きヨッフム(61歳だが)の生命力漲る熱演。ところで、この録音はベルリン・フィルとの最初のセッションで、完成間もないベルリン・フィルハーモニーホールで行われたが、以後の1、4、7、9番はいずれもイエス・キリスト教会。何か問題があったのだろうか。

第21位:フランツ・コンヴィチュニー/ベルリン放送交響楽団〈ハース版〉1959年
豪快さを炸裂させたコンヴィチュニーらしい演奏。弦楽器の重厚な響きと金管の爆奏を堪能することができる。躍動感を極めたスケルツォに、重々しく深遠なアダージョ、すばらしい。そして迫真のフィナーレでは恐怖すら覚える。モノラル録音だが、第7番の疑似ステレオ録音より、断然優れている。細心の注意を払った放送用スタジオセッションだけに、録音状態の良さは格別。僕のお気に入りのTANNOYのスピーカーが嬉しそうだ。

第22位:エドゥアルト・ファン・ベイヌム/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団〈ハース版〉1955年
シューリヒトを思わせる颯爽としたカッコいい演奏。第1主題の第3主題で、ぐっとテンポを落とすところも同じ。古き良き時代のACOとのコンビが織りなす洗練された端正な響きに、うっとりとする。それにしても正確にアインザッツを出し続けるベイヌムは只者ではない。モノラル録音だが、音質は上等。第4楽章は、モノラル録音であることを忘れてしまう。

第23位:エフゲニー・ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団〈ハース版〉1959年
ソ連で初めて録音されたブルックナーとのこと。やはりナチスによるプロパガンダの影響は戦後しばらくの間、影を落としていたのか。ムラヴィンスキーはブルックナーの演奏を多く手掛けているが録音が少ないのが残念だ。ムラヴィンスキーらしい厳しく引き締まった演奏で、ロシアらしさが微塵も感じられない正統的なドイツスタイルの音楽に惹かれる。名匠平林直哉氏の奇跡の技により復刻製作されたこの盤は鮮度も良く、ストレスを全く感じることなく鑑賞できるのだが、第1楽章の強奏での音割れなど、当時のソ連の録音技術のレベルは如何ともし難い。

第24位:アイヒホルン/リンツ・ブルックナー管弦楽団〈第2稿 ノヴァーク版〉1991年
アイヒホルンらしい、スケールの大きい正統的な演奏で、どことなくベームに似ている。違いはテンポが速めで、深みにやや欠けている点か。いい演奏なのだが、特筆すべき点が見つからず、同じノヴァーク版ということもあり、どうしてもベーム盤の方を手にとってしまう。

第25位:オットー・クレンペラー/ニューフィルハーモニア管弦楽団〈第2稿 ノヴァーク版〉1970年
フィナーレ楽章の大幅カットが残念でならない。何しろ200小節以上、時間にすれば恐らく5〜6分に及ぶカットが施されたのだから、多くのブルックナーファンを敵にしてしまったのも無理はない。「音楽的な工夫をし過ぎでまとまりのないように思える」というのが、カットの理由のようだが、13年前のケルン放送響盤ではカットはなかったので、作曲家でもあるクレンペラーが考えぬいた上での結論なのだろう。かつてマーラーが自身の交響曲第8番のリハーサルのときに、客席にいたクレンペラーたちに、「自分の死後、具合の悪いところがあったら書き換えてくれ。君たちには、その権利も義務もある」と語ったそうで、クレンペラーは、このブル8のカットについても自身の義務と思ったのかも知れない。この演奏は、カット問題を除けば、クレンペラーらしい、スケールの大きい重厚感あふれる名演。

第26位:オイゲン・ヨッフム/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団〈第2稿 ノヴァーク版〉1976年
ベルリン・フィル盤とは打って変わって弱々しく開始される。円熟味を増した深みのある演奏に12年の歳月の長さを感じさせる。特にアダージョ楽章の沁みわたるような清涼感は格別。オケのミスを指摘する声が多いが、全く気にならない。セッション録音なので録り直しも可能なのだが、ヨッフム自身、これで良いと思ったのであろう。ヨッフムの新旧全集の比較では、第8番だけは新全集の方が良いという声もあるが、やはり僕はこの曲も旧盤には及ばないと思う。評価の高い終楽章も、ベルリン・フィルとの尖った演奏と比べると、物足りなさを感じる。録音も相変わらず冴えない。僕の持っているオランダ輸入盤は比較的音質が良いと言われているのだが。最近発売されたワーナー盤は改善されたのであろうか。

第27位∶ニコラウス・アーノンクール/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団〈第2稿ノヴァーク版〉2000年
アーノンクールのブル8…? 違和感しかない。いや、そもそもアーノンクールとブルックナーの組み合わせ自体が異色なのだが、特に第8番となると、どんな演奏になるか想像できない。相変わらずのピリオド奏法だが、不思議なことに、現代人の僕が聴くと、かえって近未来的に感じる。カラッとした晴れやかな演奏は、ブル8の持つ、じめじめした特徴とは反するが、確かにこれもありかな、と。アーノンクールは、この曲の版について、一家言持っている。前述のとおり第1稿と第2稿は大きく相違するが、アーノンクールは、特にオーケストレーションの相違を重視し、この2つの版は独自の音響を持っているととらえ、「複数の版を混ぜ合わせることはできない」と判断、純粋な第2稿であるノヴァーク版を選んでいる。彼の徹底したこだわりが覗える。

第28位:シャラー/シンフォニー・フェスティバ〈1888年異版〉2012年
クラシック音楽には「新曲」はほとんど存在しない。存命中の著名な作曲家による作品もあるが、古(いにしえ)の大作曲家たちによる偉大な名曲群に比べれば児戯に過ぎない。これは新作の古典文学がないのと同じで当たり前のことだが、ブルックナーの交響曲においては、新曲とも言える例外があまた存在する。新たに発見された自筆の改訂譜をもとにした校訂版が出版されるからだ。この演奏はその一つ、キャラガン校訂による1888年異版の世界初録音である。従来の「アダージョ異版」とは一線を画し、1、2、4楽章も1888年の改訂箇所を反映している。シャラーは、この異版も大家風に悠然と演奏し、第8番の名盤が新たに加わった。フィルアップとして収録されたキツラーの葬送音楽「ブルックナーの思い出に」も面白い。弟子ブルックナーの死に際して作曲されたものだが、オーケストラ用のオリジナル譜が散失しているため、シャラーがブルックナー風にオーケストレーションを復元したとのこと。

第29位:ゲオルク・ティントナー/アイルランド国立交響楽団〈第1稿ノヴァーク版〉1996年
初稿にこだわるティントナー。レヴィにダメ出しを喰らった第1稿においても、名手ティントナーの面目躍如、歴史に残る名演に…とは行かなかった。全楽章において、版の悪さは如何ともし難い。しかし最後まで楽しませてはくれる。感動を味わうためではなく、落ち込んでいるとき、気分転換に聴くのに適した演奏と言えよう。