クラシック 珠玉の名盤たち

  ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調

Ne-dutch


● 聴き比べ(続き)
第11位:オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団〈ノヴァーク版〉1960年
クレンペラーのブルックナーは賛否両論あるが(もちろん僕は「賛」の方)、この第7番が名演であることは、衆目の一致するところ。重厚なクレンペラーと甘美な第7番は、一見合わなそうな気もするが、それは全くの杞憂。クレンペラーにしてはやや速めのテンポで始まるが提示部も再現部も第3主題で速度を落とすなど、構成感がすばらしい。第1楽章終盤のティンパニーの鳴らし方、第2楽章コーダのホルンの吹かせ方が秀逸。スケルツォの強弱のつけ方も良い。終楽章は出だしのゆったりとしたテンポと全体的な間の取り方が見事で、厳粛な弦楽器と華やかな木管の響きが力強い金管群と相俟って小ぶりなこの楽章をスケールの大きいフィナーレに仕上げている。

第12位:オイゲン・ヨッフム/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団〈ノヴァーク版〉1964年
寄せては返すさざ波のようなトレモロに乗って有名な主題が力強く現れる。曲全体を通して、重く深みのある低弦に支えられた伸びのある弦楽器群、木管の太い響き、風格のある金管、カラヤン色に染まり切る前の本来のベルリン・フィルの姿を最後に示してくれる。特に第2楽章はすばらしく、ドイツサウンドの真髄に魅了される。

第13位:ギュンター・ヴァント/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団〈ハース版〉1999年
ヴァントとベルリン・フィルによるブルックナー演奏の最後を飾るのにふさわしい名演。指揮者と団員の間における信頼と敬愛が感じられる。ベルリン・フィルにとっては異例となる長いリハーサルに加え、3日間のライヴ演奏からの編集に指揮者自ら立ち会うなど、ヴァントのこだわりの姿勢は変わらない。力強さと繊細さを併せ持ったすばらしい演奏である。金管の強奏を批判する意見もあるが、そういう人にはヴァントを聴いて欲しくない。

第14位:エドゥアルト・ファン・ベイヌム/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団〈改訂版〉1953年
モノラル録音のブル7の中で最高峰に位置する名盤。通常、モノラル録音を聴く場合、脳内のステレオ補正に時間を要してしまうが、この演奏は冒頭から全く違和感なく頭の中にすぅーと入ってくる。調べてみると、当時の英国DECCAの録音技術は、潜水艦設計の技術を応用した世界最高水準を誇っていたそうである。すべてのレンジにわたり驚異的な解像度でベイヌムとACOが奏でる美しいハーモニーを21世紀を生きる我々に届けてくれる。感謝の言葉も見つからない。ブルックナーの交響曲で最も弦楽器が重要な第7番、元ヴィオラ奏者のベイヌムにとって一番の魅せ場となった演奏であろう。

第15位:アラン・ギルバート/NDRエルプ・フィルハーモニー管弦楽団〈ノヴァーク版〉2019年
とてつもない指揮者が現れた。生まれ変わったNDRフィルが目をつけたのが、活躍目覚ましいアメリカ人指揮者のギルバート。新生NDRのデビュー盤とも言えるこの演奏は、期待を大きく上回るセンセーショナルなものとなった。存命中の指揮者では、盛りを過ぎたゲルギエフに取って代わる稀代の巨匠となるのではないだろうか。風貌もゲルギエフを上品にした感じで、母親が日本人というのも誇らしい。演奏スタイルはオーソドックスで、一音一音を丁寧に積み重ねて行く。ヴァイオリンの両翼配置もブルックナー演奏にふさわしい。暗く冷徹さを感じさせる北ドイツのオケの音色に、アメリカ的な明朗快活さと、日本的な温もりを添加することで生じた化学反応は、これまでにない新鮮なブルックナー音楽を誕生させた。第2楽章ではクライマックスを抑えめにし、コーダの慈しむようなワーグナー・チューバは感動的だ。そして終楽章では一変し、重厚感あふれるスケールの大きな演奏となる。これにより、この曲の欠点である尻すぼみ状態になることはなく、壮大なインパクトを与えながら曲を閉じる。知性を感じさせる演奏である。

第16位:ヘルベルト・ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団〈ハース版〉1985年
「シリアスで偏執的な驚異的名盤」と銘打っているが、僕はシリアスとも偏執的とも思わない。驚異的名盤であることは同感。第1楽章終盤や第2主題のクライマックス等、個性的な箇所があるが、もう少しケーゲルらしさがあった方が良かったかも。

第17位:リッカルド・シャイー/ベルリン放送交響楽団〈ノヴァーク版〉1984年
すべてはここから始まった。15年に及ぶシャイーのブルックナー交響曲全集の録音の幕開けとなるこの演奏は、ベルリン放送響の首席指揮者3年目となったシャイーが、オケの魅力を存分に引き出している。まだ31歳という若さでありながら第1楽章終結部のスケールの大きさに驚く。アダージョ楽章では円熟味さえ感じる。すばらしい。

第18位:フランツ・コンヴィチュニー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団〈ハース版〉1958年
ん? これはモノラル録音ではないか。僕が持っているMemoriesレーベルの輸入盤には、しっかり〈STEREO〉と明記されている。調べてみると、モノラル録音を電気的に処理した疑似ステレオ録音とのこと。遅延回路を使用したのかイコライザー処理をしたのか知らないが、何もしない方が良かったのではないか。録音年も1961年となっているが、これも間違い。正しくは1958年6月の録音。オイロディスク社が東ドイツの国営レコード会社エテルナ社から原盤を借り受けた際の混乱が原因と思われる。演奏は悪くないのだが、コンヴィチュニーの個性が目立たない、おとなしめの演奏で、恐らく第7番はあまり得意ではないのだろう。

第19位:クルト・ザンデルリンク/シュトゥットガルト放送交響楽団〈ハース版〉1999年
ザンデルリンクが、ゆっくりと、しっとりと謳いあげる。なるほど、ハース版はこのように演奏すれば良いのかと納得。比較的小ぶりなフィナーレ楽章をスケール大きく雄大に仕上げる様は見事。ライブ盤でありながら聴衆は静かで、咳払いも物音もない。すべてにおいて完璧と言える名盤なのだが、このCDを手に取る機会が少ないのはなぜだろう。

第20位:オイゲン・ヨッフム/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団〈ノヴァーク版〉1976年
これほど慈愛に満ちたアダージョがあったであろうか。シュターツカペレ・ドレスデンが誇る透明感ある弦楽器の音色に心を打たれる。なぜか金管に対する辛口の評価が多いが、全く気にならない。ヨッフム新全集の中ではトップクラスの名演。

第21位:クルト・アイヒホルン/リンツ・ブルックナー管弦楽団〈ノヴァーク版〉1990年
アイヒホルンのブルックナー選集の魅力の一つに、130ページに及ぶ解説書の存在がある。日本の誇る名プロデューサー井阪紘氏とアイヒホルン氏のやり取りも載っていて興味深い。井阪氏の数々の注文に対し、アイヒホルン氏は、「一晩考えさせてくれ」「今晩アントンに聞いてみる」などと返し、中には録り直しに応じたこともあったという。第7番での井阪氏の注文は、大半の指揮者がやっている第1楽章終結部でのリタルダントをやめること。なるほど確かにこの方が曲が引き締まる。全体的にインテンポで通しながらもスケールの大きい演奏に仕上げるアイヒホルンも流石だ。

第22位:ゲオルグ・ティントナー/ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団〈ハース版〉1997年
初稿にこだわるティントナーが選んだのはハース版。なるほどティントナーにとってはハース版が第1稿、ノヴァーク版が第2稿という位置づけになるのであろう。ん? でもティントナーは子どもの頃、合唱団でフランツ・シャルクの指導を受けていたのに。師匠に逆らうとは… それはともかく、この曲も、全曲を通じて、虚飾を廃した自然な演奏でありながら、スケールの大きさを現した名演である。ヴァイオリンの両翼配置も効果を発揮し、録音も悪くない。フィナーレ楽章の高揚感は格別。

第23位:シャラー/シンフォニー・フェスティバ〈ノヴァーク版〉2008年
全曲を通じて明るい色彩の第7番。ブルックナーの出世作となったこの曲の初演もこんな感じだったのではと想像してみるのも楽しい。幸福感につつまれた第2楽章第2主題を聴いていると、このままこの美しい世界に浸っていたいと思う。スケルツォとフィナーレも派手さを抑えた軽快な演奏で心地良い。

第24位:ニコラウス・アーノンクール/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団〈ハース版〉1999年
クセの強い第3番、第5番とは違い、控え目な演奏。楽器一つひとつの響きを大切にした室内楽的な美しさは好感を持てるが、強烈な個性を期待していただけに、物足りなさを感じる。