クラシック 珠玉の名盤たち

  ブルックナー:交響曲第6番 イ長調

Ne-dutch


1881年に完成した第6番は、ブルックナーの「田園」と言われることがあるが、ベートーヴェンの交響曲に例えるなら、第3番と第5番の間で「谷間に咲くユリの花」とも言われる第4番の方が合っていると思う。ブルックナーのこの曲も、第5番と第7番の間で、小ぶりでチャーミングな曲である。ブルックナーの住む部屋の大家さんに献呈されたというのも、この曲にふさわしい。ちなみに、第7番はバイエルン国王に、第8番はオーストリア皇帝に献呈されている。また、第6番は珍しく全く改訂されず、ハース版とノヴァーク版の違いもごくわずかなので、「版問題」は存在しない。
一方、小ぶりな曲でありながら、大胆な形式構造をとっており、ブルックナーは、この曲を「die Keckste(一番生意気)」と呼んでいた。勇壮な主題が特徴の第1楽章、ジークフリート牧歌を思わせる第2楽章、おとぎ話のような愉しく親しみやすい第3楽章、途中に「トリスタンとイゾルデ」の「愛の死」のテーマを取り込んだ壮麗で感動的な第4楽章。第3番と並んでワーグナーの影響を色濃く残した作品である。

● 版の種類
①ハース版(原典版) 
②ノヴァーク版(原典版) 
③マーラー改訂版
④ヒュナイス改訂版

1881年に完成した原典版は、ハース版とノヴァーク版があるが、前述のとおり、ほぼ同じ。よってどの版か記載のないことが多いので、以下の聴き比べでは、その場合は、推測を交えずに「原典版」としておく。
1883年に中間2楽章がウィーンフィルによって初演されたが、リハーサルに現れた、ご満悦のブルックナーは、左右別々の靴を履いていたという。1899年に、マーラーによる短縮版を、マーラー指揮で全曲初演。この初演は成功で、特にアダージョとスケルツォが好評だったそうだ。同年、弟子のヒュナイスが改訂版(完全版)を出版、これが初版となる。原典版とはダイナミクスに相違あり。

● 聴き比べ
第1位:朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団〈原典版〉1994年
蚊の鳴くような弱音で始める指揮者が多いなか、朝比奈は冒頭からメゾピアノくらいの強さで颯爽と開始する。この曲は、いわゆるブルックナー開始ではないので、これで良い。そもそもブルックナーの強弱記号は謎が多い。なぜだかメゾピアノを使わないので、楽譜どおりの強さで演奏すると、音の「中抜け現象」が起きてしまう。そのため指揮者は色々と工夫をすることになるのだが、いっそ無視してしまうという、朝比奈の思いっきりの良さに感心する。アダージョはこの上なく美しく、スケルツォも迫力満点、フィナーレは感動的である。宇野功芳氏が「新境地を示した格別な名演」と評したのもうなずける。朝比奈はこの曲を3回しか録音しておらず、このディスクが最後の録音となったが、第6番が苦手な訳ではなく、会心の出来映えに満足したからではないか。スタジオ録音のため、最後まで安心して聴けるのも良い。

第2位:セルジュ・チェリビダッケ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団〈ハース版〉1991年
63分33秒。チェリビダッケは、この小曲を他の曲と全く同じようにスケールの大きい演奏をしている。特に第1楽章のコーダの雄大さは比類がない。アダージョも、厳粛さと甘美さを十分に兼ね備えた名演。スケルツォは、勇壮な主部と牧歌的なトリオの対比が見事。フィナーレは金管の鳴りが秀逸で聴き応え十分。

第3位:ヨーゼフ・カイルベルト/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団〈ノヴァーク版〉1963年
カイルベルトのブル6は凄いらしい… 第6番に関する情報を調べていて、カイルベルトが貴重なステレオ録音を遺していることを知った。いやはや凄い演奏である。こんな名盤を見落としていたとは…いや、出会えて本当に良かった。冒頭から情報量の多さに圧倒される。ドイツ音楽の真髄を示すかのような重厚かつ明快な演奏だが、カラヤンのようなわざとらしさは微塵もない(失礼…)。オケの巧みさを十二分に引き出し、圧倒的な熱量を保ちながら突き進み、最後はすべてを出し切ったかのような満足感を与えつつ大迫力のもとに締めくくる。古い録音ではあるが状態はすこぶる良い。

第4位:オイゲン・ヨッフム/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団〈ノヴァーク版〉1980年
ヨッフムとコンセルトヘボウ管の相性は抜群だ。第6番は全曲を通じて金管が命だが、コンセルトヘボウの金管の旨すぎること。第1楽章はギアの入れ方が半端なく、ワクワク感が持続する。一転、アダージョ楽章は深遠さの極みで、敬虔な気持ちで祈りを捧げたくなる。スケルツォの躍動感と言い、フィナーレの高揚感と言い、これ以上、何を望めば良いのだろう。録音状態も良く、ブル6の決定盤と言える存在。

第5位:オットー・クレンペラー/ニューフィルハーモニア管弦楽団〈ハース版〉1964年
しっとりとした開始から、次第にギアを上げていき、立体的で迫力のある提示部を構成する。第6番独特の魅力を最大限に引き出す様は、見事という他ない。クレンペラーらしい重厚なサウンドはアダージョ楽章やスケルツォ楽章でも貫かれている。そしてやや軽めに書かれたフィナーレも力強く感動的に締めくくる。

第6位:若杉弘/NHK交響楽団〈ノヴァーク版〉1997年
朝比奈のような押しの強い出だしを想像していたが、ややマイルドに開始される。強過ぎも弱過ぎもない絶妙の弦の刻みにより、勇壮な主題が映える。迫力あふれる第1楽章の後、第2楽章を抒情たっぷりに歌い上げ、第3楽章はリズミカルに、そして第4楽章は木管を色彩豊かに吹かせるなど、第6番の魅力を知り尽くした名演。

第7位:オイゲン・ヨッフム/バイエルン放送交響楽団〈ノヴァーク版〉1966年
ヨッフムらしからぬ明るく華やかな演奏。この演奏を初めて聴いて指揮者を当てるのは困難であろう。ノヴァーク校訂による原典版だが、装飾音が散りばめられており、版の少ない6番の欠点(?)を補っている。どの楽章もすばらしい演奏だが、特筆すべきは第2楽章の美しさ。

第8位:クルト・アイヒホルン/リンツ・ブルックナー管弦楽団〈ノヴァーク版〉1994年
アイヒホルン最後の録音。正統的な演奏で、ベームがこの曲を演奏していたらこんな感じかなと思う。第1楽章と第4楽章のコーダが感動的。第2楽章の美しさは例えようがない。

第9位:ヘルベルト・ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団〈ノヴァーク版〉1972年
ケーゲルの個性が光る名演。独特の強弱のつけ方と、音の揺れは、版問題のない第6番の演奏には貴重な存在。ブルックナーの異常な精神構造を表現しつくしている。相変わらずの雑音と冒頭のホルンのミスが残念。

第10位:ギュンター・ヴァント/北ドイツ放送交響楽団〈原典版〉1995年
NDR盤とミュンヘンフィル盤、両方ともすばらしい演奏で、どちらを選ぶかは好みの問題。僕はこのNDR盤の方に手が伸びる。特別なことは何もしていない。でも宇野功芳氏が述べているように、「こんな音楽が6番にあったのか」と思ってしまう。終始一貫した侘び寂びの境地に、敬虔な思いがつのり祈りを捧げたくなる。

第11位:ギュンター・ヴァント/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団〈ノヴァーク版〉1999年
ヴァント/ミュンヘンフィルのブルックナーはどれも名盤だが、中でもこの第6番が一番の秀演という声がある。冷徹で精緻な演奏が持ち味なヴァントであるが、ミュンヘンフィルの暖かみのある演奏と、ガスタイクホールのまろやかな響きが、ヴァントの峻厳さを中和させ、第6番にふさわしい絶妙なバランスとなっている。

第12位:リッカルド・シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団〈ノヴァーク版〉1997年
例えて言うなら有機栽培のワインのような味わい。おいしいのだけれど、何か物足りない。それでも高貴で気高さを感じさせる演奏はシャイーならでは。第1楽章の第1主題は、勇壮さとは無縁な控え目な演奏で、気品に満ちた王の行進のよう。優しさと愛情に満ちた第2楽章は、まるで母親の胎内にいるような安心感を与えてくれる。スケルツォとフィナーレも、丁寧で緻密に積み上げていき、シャイーらしい細部にまで目の行き届いだ名演である。

第13位:ゲオルグ・ティントナー/ニュージーランド交響管弦楽団〈ハース版〉1995年
版問題のない第6番は、なかなかティントナーの特徴を活かしきれないが、この演奏はティントナーらしい雄大な名演。曲の概要で、ベートーヴェンに例えるなら「田園」よりは第4番と述べたが、この演奏は、まさに「田園」を思わせる。大自然への讃歌のような、瑞々しく澄んだ演奏に心を洗われる。

第14位:ゲルト・シャラー/シンフォニー・フェスティバ〈ノヴァーク版〉2013年
シャラーらしくないオーソドックスな演奏なのは、キャラガン版でないからか(そもそも第6番にキャラガン版があるかどうか知らないが)。冒頭、徐々に盛り上がってくるクレシェンドは、これもありかな、と。

第15位:オイゲン・ヨッフム/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団〈ノヴァーク版〉1978年
ヨッフムの新全集は、どうしても旧全集を超えられない。円熟の境地と言えば聞こえは良いが、全体的に旧盤をマイルドにした感じ。第6番の良さを活かし切れていない。