クラシック 珠玉の名盤たち
ブルックナー:交響曲第5番 変ロ長調
Ne-dutch
ブルックナー愛好家に何番が好きかと尋ねたら、恐らく1位は第8番、2位は第5番ということになるであろうが、僕は断然第5番だ。宇野功芳氏流に第5番と第8番を比較してみよう。アダージョは第8番がやや優勢、スケルツォとフィナーレは引き分け、第1楽章は第5番の勝ち、ということで、総合的に第5番の方が上になるのではないか。ただし、ブルックナー自身が第5番を気に入っていたかどうかは疑問である。この曲は、1878年に完成しているが、初演を依頼した形跡がない。第5番は珍しく本人による改訂がされていないし、弟子のフランツ・シャルクによる改訂版が初演されたとき、完成からすでに16年が経っていた。さらにこの初演は、病気を理由に出席もしなかった(改訂版に対する抗議との見方もあるが)。
この曲の特徴は、全曲を通じた統一感と、各楽章のバランスの良さであろう。一方で、異形の交響曲とも言われており、特にフィナーレは特異な構成となっている。そもそもブルックナーのソナタ形式は主題が3つある変則的なものだが、第5番の第4楽章は、提示部の第3主題の後にさらにコラール主題が続き、このコラール主題は4つ目の主題どころか主役になってしまう。展開部の前半はコラール主題によるフーガ、後半はコラール主題と第1主題による二重フーガ。コーダは、コラール主題、第1主題に、第1楽章の第1主題まで加わり、モーツァルトのジュピター・フーガのような神々しさを放ちつつ、全曲を閉じる。ああ、なんてすばらしいのだろう。このコーダに感動しない人がいるであろうか。第5番の演奏は難しいと言われる。宇野功芳氏もヴァント/ベルリン・フィル盤をベストとしている一方、ライバルが少ないと指摘しているが、果たしてそうであろうか。ここに挙げた26枚のCDはどれも名盤ばかりと思っている。本稿の趣旨から順位をつけてはいるが、今回ほど順位付けに困ったことはない。第17位以下の順位にはあまり意味がないことを断っておく。
● 版の種類
①ハース版(原典版)②ノヴァーク版(原典版)
③シャルク改訂版
④キャラガン版(1876年稿校訂版)
完成は1878年。2つの原典版はほぼ同じ。よって、単に〈原典版〉と記載されている場合が多くあり、下記の聴き比べにおいてもそのまま記載しておく。
弟子のフランツ・シャルクが改訂し、1894年に同氏の指揮で初演。1896年に出版し、これが初版となる。この改訂では第3楽章と第4楽章を大幅にカット。第4楽章を金管、シンバル、トライアングルで補強。他にも全体的にオーケストレーションの追加とテンポの変更がされているが、ヴァントの「メンデルスゾーンとワーグナーをごちゃまぜにした響き」「ブルックナーの痕跡は全く残っていない」との評は言い過ぎ。第5番は改訂されていないとされているが、1876年に一旦完成されていたとする説もあり、その復元版がキャラガン版。
● 聴き比べ
第1位:ギュンター・ヴァント/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団〈ハース版〉1996年よく「無人島に持って行く1冊の本は?」という質問があるが、これが「1枚のCD」であれば、僕は迷うことなく、ヴァント指揮ベルリン・フィルのブルックナーの第5番にする。ヴァントは練習熱心で知られ、満足する音が出るまで練習をやめない。そして本番で思ったとおりの音が出ないと指揮者を辞めたくなるそうだ。この演奏は、ヴァント自身、快心の出来映えと満足したに違いない。力強く、おどろおどろしい冒頭のピチカートが印象的で、何度聴いてもワクワクする。そして金管の咆哮から、弦楽器による爽やかな第1主題。不思議なことに、手兵の北ドイツ放送響とはこうは行かなかった。一方、ヴァントとベルリン・フィルの相性は抜群である。展開部のクライマックスで恐怖は絶頂に至り、最後まで気魄は衰えを見せることはない。第2楽章は壮大なクレシェンドの精確さに息を飲む。繰り返される上昇楽句は、遥か高みまで連れて行かれそうで不安を感じてしまうほどだ。第3楽章は、主要部とトリオの対比が見事だ。やや粗削りの音楽なのだが、ヴァントは緻密に曲を積み上げていく。そしてフィナーレ。宇野功芳氏が「神技」と絶賛しているように、楽器の活かし方が例えようもなくすばらしい。ヴァントがどこまで指示しているのかはわからないが、ベルリン・フィルの持てる力をここまで引き出すのは並大抵のことではない。展開部の見せ場となる荘厳なフーガも、ヴァントは丁寧に丁寧に積み重ねていく。圧巻はコーダ。これまでに提示された最高の音楽を究極の形で凝縮し、この偉大な曲は最高潮に達する。この演奏を聴いていると、ブルックナーの第5番こそが、人類の生み出した最高の音楽ではないかと思うのである。第2位:フランツ・コンヴィチュニー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団〈ハース版〉1961年「コンヴィチュニーのように指揮したい」、朝比奈がこう思ったのは、この演奏を聴いたときではないだろうか。スケールの大きさと重厚さに圧倒される。金管の咆哮は凄まじいが、統制が行き届いており、うるささは全く感じられない。弦は、低音から高音まで硬質で美しい。木管のふくよかな音色も申し分ない。驚愕すべきは録音状態。1961年の録音でありながら、これほどの高音質でコンヴィチュニーを聴けるとは…感謝しかない。
第3位:ルドルフ・ケンペ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団〈ノヴァーク版〉1975年まるで異世界への入口のような始まり方である。ヴァントとはまた違った恐ろしさがある。3分20秒もかける序奏を聴くだけで充足感が満たされる。一転して快速の第1主題、沈痛な第2主題、そして生命力あふれる第3主題と、コントラストの巧みさはとても言葉では表すことができない。第2楽章も、独特の弦のリズムに乗って奏されるオーボエの美しい第1主題、荘厳さの極みとも言える第2主題。この楽章の後半には、拍子の異なる2つのリズムが同時に奏される部分があるが、ケンペは左手と右手でそれぞれ正確に違う拍子を振り分けているそうだ。ケンペは高い芸術性に加えて、高度な指揮法も兼ね備えているのだ。第3楽章も緩急のつけ方が見事。第4楽章は、唐突に現れるコラール主題が少し残念。ここはもっと感動的に出現させて欲しいところ。見せ場の一つ、展開部の二重フーガはケンペの巧みな手綱さばきにより、弦楽器、木管、金管のバランスが絶妙である。そして最後、これほど壮麗なコーダは聴いたことがない。圧倒的な熱量をもって感動の中で締めくくられる。すばらしい。
第4位:ヘルベルト・ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団〈ハース版〉1977年怪演、爆演、狂演…どう表現したら良いのだろうか、いやはや凄まじい演奏である。それでも感情に左右されずに緻密な計算のもとに奏されているからだろう、騒々しさとは無縁な演奏である。フィナーレのティパニーの追加が特徴的だが、スケルツォも楽譜をいじっている。ハース版を主体にしているが、差し詰めケーゲル版といったところ。録音状態は悪くなく、雑音は気になるが、マイクが近いのか、クリアに音を拾っていて臨場感あふれるサウンドである。
第5位:セルジュ・チェリビダッケ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団〈ハース版〉1993年
ブル5の演奏の良し悪しは冒頭でわかる。これほど躍動感あふれるピチカートがあっただろうか。また、第2楽章の第2主題をこんなにロマンティックに奏するとは、まるでジュリーニのようだ(ジュリーニの5番、聴いてみたかった)。フィナーレはコラール主題をもう少し感動的に出現させて欲しかったが、展開部の二重フーガの棒さばきの見事さと、何と言っても圧巻のコーダの高揚感は言葉では言い表せない。87分39秒。気の遠くなるような演奏時間だが、チェリビダッケの演奏は長さを感じさせない。一音一音に十分に意味を持たせており飽きることは決してない。チェリのブル5は1986年の日本公演盤が人気のようだが、恐らく実際に聴きに行った人たちが騒いでいるのであろう。ミュンヘンで録音した、このガスタイク盤の方が断然優れている。ただし、このCDはなぜか廃盤になっており入手困難。disk uionでようやく見つけたときは本当にうれしかった。