クラシック 珠玉の名盤たち

  ブルックナー:交響曲第2番 ハ短調 

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第2番の完成は1872年で、第1番の完成から6年も経っているが、この間に第0番を書いている。実は第0番は第1番の前という意味ではなく、ブルックナー自身が、無価値という意味で「Nullte」と呼んだことに由来している(ドイツ語でnullはゼロを意味する)。第2番は翌1873年に改訂したのだが、どちらも第1稿と呼ばれており、ややこしい。2つの第1稿の一番大きな違いは、第2楽章と第3楽章の順番を変えたことである。1872年稿はベートーヴェンの第9同様、第2楽章にスケルツォ、第3楽章にアダージョという順番だった。そういえば第2番のアダージョは、どことなくベートーヴェンの第9に似ている。恐らく誰かに言われたのであろう、1873年稿では伝統的な順番に変えてしまった。後年、自信を付けたブルックナーは、第8番から、スケルツォ→アダージョという順番を復活させたが、これは本当に良かった。3楽章の未完で終わる第9番は、消え入るようなアダージョの不思議な完結感を持って曲を閉じるのだが、もしもこれが逆だったら…考えただけで恐ろしい。

話を第2番に戻す。第1稿は、初演を予定していたウィーン・フィルの楽団員から演奏不可能と言われ、演奏会は中止。1877年に改訂したのが第2稿。さらに1892年にも改訂しているが、なぜかこちらは第3稿とは呼ばれない。現在演奏されるは、もっぱら第2稿。


● 版の種類

①1872年稿 第1稿 キャラガン版

②1873年稿 第1稿 キャラガン版

③1877年稿 第2稿 ハース版

④1877年/1892年稿 第2稿(第3稿とも) ノヴァーク版


前述のように、1872年第1稿は、第2楽章スケルツォ、第3楽章アダージョという配置。

1873年第1稿で、楽章の順番を今の形にし、スケルツォの繰り返しをカット。アダージョの第5部は、まるでヴァイオリン協奏曲のようにヴァイオリンがソロを奏でるが、残念なことに以後の改訂でソロはカット。コーダの跳躍をクラリネットに変更。

1877年の改訂で、第2楽章はアダージョからアンダンテに変更。第2稿は、ハース版とノヴァーク版があり、ハースは、一部、1872年稿を採り入れ、第2楽章のコーダの跳躍の旋律をホルンに戻したり、削除された箇所を復活させたりして、後にノヴァークから批判される。

ところがノヴァークも同じようなことをしており、ノヴァークの第2稿はハースとは逆に、一部に1892年の改訂要素を採用し、1877年/1892年稿と言われる。第3楽章の提示部と再現部に繰返しがない。


● 聴き比べ

第1位:カルロ・マリア・ジュリーニ/ウィーン交響楽団〈第2稿 ノヴァーク版〉1974年

ブルックナーと言えば、重厚なドイツ系指揮者が合うのだが、第2番は、イタリア系指揮者にロマンティックに演奏してもらいたい。ジュリーニが引き出す弦楽器の艷やかで伸びのある響きは本当に美しい。ノヴァーク版のため、ところどころカットされているのは残念だが、彩り豊かで華やかな印象となっているのはこの版の魅力。緩徐楽章を指示どおりのアンダンテではなく、慈しむようにたっぷりと歌い上げているのも良い。終楽章で突然現れるキリエのメロディーは、何度聴いても、はっとさせられる。まるで別世界に連れて行かれるようだ。


第2位:朝比奈隆/大阪フィル・ハーモニー交響楽団〈第2稿 ハース版〉1994年

版にはこだわりを持たない朝比奈だが、ハース版を使ったのは正解。不安感をかきたてるようなヴァイオリンとヴィオラのトレモロも、朝比奈は確固たる確信を持って堂々と開始。第2主題もゆったりと歌い、その後は緊迫感を維持しながらクライマックスに至る。時々止まってしまうかのような極端に遅い緩徐楽章も、この頃の大フィルの特徴である分厚いサウンドを活かしたスケルツォもすばらしい。どことなく危うさを孕んだフィナーレも、団員の絶対的な信頼を得て、最後まで朝比奈らしく重厚なドイツ的サウンドで突き進む。こういう第2番もあっていい。


第3位:若杉弘/NHK交響楽団〈第2稿 ノヴァーク版〉1997年

明瞭過ぎるほどくっきりとした開始から驚きの連続である。終始ずっしりと鳴らし続ける低弦に乗った、朝比奈より朝比奈らしい重厚感あふれる演奏はジュリーニの対極に位置する異次元の第2番と言える。アダージョ終盤の不気味な低弦は恐怖すら感じる。スケルツォとフィナーレも雄大で力強く、全曲を通じて愉しめる演奏だ。ノヴァーク版と明記されているが、第3楽章で繰り返しを行なうなど、ハース版の要素も見られる。結果的に、一部ノヴァーク版を採り入れたハース版を振ったケルン放送響とのヴァント盤に近い形となっており、二人のケルン放送響との繋がりを考えると興味深い。


第4位:クルト・アイヒホルン/リンツ・ブルックナー管弦楽団〈1872年稿 第1稿 キャラガン版〉1991年

速っ!でも聴かせどころはたっぷりと演奏してくれる。田舎臭い朝比奈とは対極にある都会的な演奏だが、これがドイツの片田舎のオケというのも面白い。この演奏を聴いていると1872年稿が一番出来が良いのではと「錯覚」してしまうのが不思議。録音も良好で、クリアなサウンドに仕上がっている。


第5位:クルト・アイヒホルン/リンツ・ブルックナー管弦楽団〈1873年稿 第1稿 キャラガン版〉1991年

アイヒホルンはブルックナー交響曲選集に、2つの第1稿を収録するという過剰サービスぶり。この2つのキャラガン版は世界初録音で、特に1873年稿の録音は貴重な存在。録音時期もホールも同じで、純粋に版の違いを確認することが可能だ。アダージョ楽章第5部のヴァイオリンのソロは美しいが、楽章の順番に加え、スケルツォを長く聴かせてくれる1872年稿に軍配を上げる。


第6位:フランツ・コンヴィチュニー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団〈第2稿 ハース版〉1960年

「好きになるか、嫌いになるか」、思わずアイラ・モルトウィスキーのラフロイグの宣伝文句が頭に浮かんでしまう。強烈な個性を押し付ける演奏だ。全体を通して低弦がずしん、ずしんと地鳴りのように響き渡る。第1楽章第2主題や第2楽章第2部のピチカートの強奏は限界を超えている。フィナーレで現れる美しいキリエまで重々しく攻めてくるとは。モノラル録音なのが残念だが、音質は悪くない。ところでモノラル録音を聴くといつも思うのだが、最初は物足りなさを感じるものの、聴いていると、だんだんモノラルであることを忘れてしまう。これは脳が勝手に補正してステレオに感じるようにしているのではないだろうか、とくだらないことを考えてしまう。


第7位:リッカルド・シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団〈第2稿 ハース版〉1991年

同じイタリア人指揮者ということもあり、シャイーの演奏はジュリーニに似ている。やはり伸びのある艷やかな演奏で、ジュリーニよりもきらびやか響きを産み出しており、第2番にはぴったり。スケルツォは軽快に歌い上げ、フィナーレで悲劇性を強調することもなく最後まで明るい気分のまま曲を閉じる。ブルックナーを陽キャラに変えてしまった。ノヴァーク版のジュリーニに対してシャイーはハース版を使用しているおり、両者を聴き比べることで容易に版の比較が可能。


第8位:ゲオルク・ティントナー/アイルランド国立交響楽団〈1872年稿 第1稿 キャラガン版〉1996年

初稿にこだわるティントナーが1872年稿を遺してくれたことに感謝。1872年稿は、ブルックナーの初期交響曲の第1稿としては、完成度が高いが、そのことを再認識させてくれる。ティントナーは、70分以上の時間をかけて、大曲風にスケールの大きい演奏を聴かせてくれる。


第9位:オイゲン・ヨッフム/バイエルン放送交響楽団〈第2稿 ノヴァーク版〉1966年

くっきりとした弦のさざ波に乗って、チェロの主題がたゆたうように流れてくる。第2番の出だしはこうでなければ。全曲を通じてインテンポで、ブルックナーの最も美しいこの第2番をことさら美しさを強調することなく、自然に純粋に奏でた名演。


第10位:ゲルト・シャラー/シンフォニー・フェスティバ〈1872年稿 第1稿 キャラガン版〉2011年

キャラガン版の第3番が目当てで、第1〜3番の3枚組を買ったのだが、これは思わぬ拾い物をした。冒頭から丁寧に一つ一つ音を紡ぎ出すさまは好感が持てる。スケルツォも叙情たっぷりに聴かせてくれ、アダージョ楽章の入り方が、この上なく美しい(これは1872年稿ならでは)。必要以上に遅い第3楽章だが、これを退屈と感じる人はブルックナーを語る資格はない。フィナーレも相変わらず遅いテンポだが、一部冗長な部分も含めて、初稿とは思えない大家風の感動的な仕上がりとなっている。


第11位:ギュンター・ヴァント/ケルン放送交響楽団〈第2稿 ハース版〉1981年

素朴さと深遠さを両立させた名演だが、録音状態が今一つ。「常に最終稿が正しい」と考えるヴァントだが、ノヴァーク嫌いのためにハース版を使用。主義より私情を優先させたわけだが、第2楽章はノヴァーク版を使うなど、わけのわからないことになっている。純粋に音楽的に優れていると思う版を使えば良いと思うのだが。僕が第2番を振るとすれば、いいとこ取りをする。つまり楽章の順番はスケルツォ→アダージョ、スケルツォの繰り返しはあり、アダージョはヴァイオリンのソロが入ってコーダの跳躍はホルン、そしてフィナーレの冗長な箇所を整理し、装飾音をすべて追加した1872年/1873年/1877年/1892年稿改訂版の完成だ。ヴァントは第1番同様、録音は1回だけでこの盤のみ。再録音する価値がない曲と判断したのか、ケルン放送響との録音の出来栄えに満足したからなのか、真相はわからないが、純粋で美しい第2番をこよなく愛する僕としては、ヴァントにこの曲をもっと究めて欲しかった。


第12位:オイゲン・ヨッフム/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団〈第2稿 ノヴァーク版〉1980年

新全集の方が優れているのは第8番だけ、という意見もあるが、この第2番もなかなかの名演だ。ブルックナーの最も美しい交響曲をシュターツカペレ・ドレスデンが美しく奏でる。でも何か物足りなさを感じるのは、なぜだろう。