クラシック 珠玉の名盤たち

  ブルックナー:交響曲第1番 ハ短調

Ne-dutch

ブルックナーが第1番を書いたのは1866年で、42歳とかなりの遅咲きである。まだ「ブルックナー開始」は見られず、ワーグナーの影響が色濃く表れた作品。1877年に1回目の改訂をしているが、どちらも第1稿(リンツ稿)と呼ばれており紛らわしい。これは1866年リンツ稿の楽譜が失われてしまったことが原因で、ブルックナー研究家のキャラガンが1877年の改訂箇所を排除して純粋な第1稿を復元している。1891年に改訂した第2稿(ウィーン稿)の方が音楽的に優れているのだが、演奏される回数は、1877年第1稿(リンツ稿)が圧倒的に多い。理由は改訂した時期にある。晩年にさしかかった頃に改訂したウィーン稿は、リンツ稿の若々しさが失われたと批判され、そのバランスの悪さから、「枢機卿の格好をした見習い修道士」と言われるなど、あまり評判は良くない。だが、そもそもブルックナーに若々しさは必要ない。我々がブルックナーを聴くのは、大自然の偉大さ、宇宙の神秘、神の存在を確かめるためである。そのためにはリンツ稿では不十分なのだが、残念ながらウィーン稿の名盤は少ない。

● 版の種類
①1866年稿 第1稿(リンツ稿) キャラガン版
②1877年稿 第1稿(リンツ稿) ハース版
③1877年稿 第1稿(リンツ稿) ノヴァーク版
④1891年稿 第2稿(ウィーン稿) ハース版
⑤1891年稿 第2稿(ウィーン稿) ノヴァーク版(ブロシェ版とも)

リンツ稿とウィーン稿の違いは主にオーケストレーションで、重厚さと壮麗さを増したウィーン稿は、一言で言うと、よりワーグナー的になった。第1楽章再現部の終わりのトランペットとティンパニーの強奏、第3楽章のトリオの後に追加された経過部、第4楽章コーダでの木管のトリルなど、改訂箇所はどこもカッコ良すぎるではないか。1877年稿 リンツ稿、1891年ウィーン稿とも、ハース版とノヴァーク版の両方があるが、2つの版の違いはほぼないと言って良い。

● 聴き比べ
第1位:リッカルド・シャイー/ベルリン放送交響楽団〈ウィーン稿 ハース版〉1987年
「第1番」らしくない演奏である。初めてブルックナーを聴く人に、この曲は何番目の交響曲か?と聞いたら、6番目くらいか、と答えるのではないか(この設定は少し無理があるか…)。「でもそれがどうした、自分はブルックナーを最高の形で表現したいだけだ、何が悪い」、ジャケットの自信に満ち溢れた顔のシャイーが、そう語っているようだ。第1楽章の感動的な第3主題の出現、立体的なスケルツォ、祝典的な華やかさを持つフィナーレなどウィーン稿の良さを十分に表している。第1番の演奏の最高峰と言える名盤。

第2位:若杉弘/NHK交響楽団〈リンツ稿 ノヴァーク版〉1998年
あれ? 確かリンツ稿だったはずだが、と思わず確認してしまった… リンツ稿をこれほどエレガントに演奏するとは驚きである。オケもすばらしい。ずっしり重い低弦、咆哮する金管、終始聴こえてくる若杉の唸り声(これは関係ないか)、かつての大フィルを思わせる分厚いサウンドに圧倒される。朝比奈と並び、リンツ稿最高峰に位置する名演だ。

第3位:朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団〈リンツ稿 ハース版〉1994年
朝比奈の3回目の録音になるが、苦手な第1番をスタジオ録音で乗り切った。冒頭からアグレッシブに攻める姿勢は「若々しい」リンツ稿にぴったり。

第4位:オイゲン・ヨッフム/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団〈リンツ稿 ノヴァーク版〉1965年
これは本当にリンツ稿なのか。冒頭こそ小気味良く軽快にスタートするものの、全体的に重厚なサウンドに仕上がっているのは、まさにベルリン・フィルのなせる技。それでいて第1楽章終結部や第4楽章の高速運転により、重すぎることなくバランスの良い仕上がりになっているのは、ブルックナーを熟知しているヨッフムのなせる技。

第5位:ギュンター・ヴァント/ケルン放送交響楽団〈ウィーン稿 ハース版〉1981年
意外にもヴァントが録音した第1番はこの盤のみ。ヴァントにとっても第1番は苦手だったのか。ベルリンフィルか北ドイツ放送響を振って欲しかったが、それは贅沢というもの。「常に最終稿が正しいと思っている」ヴァントゆえに当然のことだが、ウィーン稿を選んでくれたことに感謝。

第6位:オイゲン・ヨッフム/ドレスデン国立歌劇場管弦楽団〈リンツ稿 ノヴァーク版〉1978年
若々しく粗削りなリンツ稿と、円熟味を増したヨッフムが導き出すシュターツカペレ・ドレスデンの美しい音色が不思議に調和する。旧盤には及ばないものの、名演であることに疑いはない。

第7位:ゲルト・シャラー/シンフォニー・フェスティバ〈リンツ稿 キャラガン版〉2011年
全体的にゆったりとしたテンポで、若々しいリンツ稿(しかもキャラガン版)を大曲風に演奏している。「いいかい、リンツ稿はこういう風に演奏すればいいのだよ」、と教えてくれているよう。第1楽章では、朗々たる響きの金管と叙情豊かな木管、そして第3主題の直前のリテヌートなど、ツボを押さえた演奏が見られる。第2楽章での美しい弦の響き、第3楽章の計算されつくしたリズム感も良い。フィナーレでは、展開部の冗長な部分も飽きさせることなく、華やかな終結部まで一気に駆け抜ける。期待を大きく上回る聴き応えのある名演。

第8位:ゲオルグ・ティントナー/ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団〈リンツ稿 キャラガン版〉1998年
前述のヴァントとは対照的に、初稿にこだわるティントナーの1866年稿キャラガン版で、世界初録音として注目を浴びた。シャラーの登場でやや影が薄くなった感もあるが、ブルックナー演奏に最適なヴァイオリンの両翼配置で、版の悪さを感じさせない名盤であることに変わりはない。

第9位:クラウディオ・アバド/ルツェルン祝祭管弦楽団〈ウィーン稿 ブロシェ版〉2012年
貴重なウィーン稿の演奏なのだが、はっきり言ってアバドはブルックナーに不向きか。弦の厚みを増し、金管を効果的に使うことで、重厚さと華やかさを合わせ持たせたウィーン稿の特徴を活かそうとしたのかも知れないが、洗練され過ぎ感が半端なく、何とも気の抜けた演奏になってしまった。