足利義政

(あしかが よしまさ)


🌟室町幕府 8代将軍
銀閣で有名な人物

🌟文化人である一方
『将軍家の伝統行事』
として犬追物を継承

🌟ただし応仁の乱で
国情が乱れ、犬追物は
この頃から衰退の流れへ

⏬️✨️足利義政
インターネットより✨️⏬️
🌟時代
室町時代中期ー戦国時代初期

🌟生誕
永享8年1月2日
(1436年1月20日)

🌟死没
延徳2年1月7日
(1490年1月27日)

🌟改名
三寅、三春(幼名)
→義成(初名)→義政

🌟別名
東山殿、東山入道前左大臣

🌟戒名
慈照院喜山道慶

🌟墓所
京都市上京区相国寺

🌟官位
征夷大将軍
従一位、右馬寮御監
内大臣、右近衛大将
左大臣、贈太政大臣

🌟幕府
室町幕府、第8代征夷大将軍
(在任、1449年 ー1473年)

🌟氏族
足利氏(足利将軍家)

🌟父母
父、足利義教
母、日野重子

🌟兄弟
義勝、政知、義政、義視

🌟妻
正室、日野富子
側室、大舘佐子

🌟子
実子、義尚、等賢同山
義覚、光山聖俊
堯山周舜
養子、義視(実弟)
猶子、義澄(政知の子)
永俊(富子の弟)

🌟特記、事項
銀閣寺建立

🌟第6代将軍・足利義教の五男
母は日野重子
第7代将軍・足利義勝の
同母弟にあたる

🌟幼くして兄の跡を継ぎ
成長後は近習や近臣
とともに親政に取り組むが
有力守護の圧力に抗する
ことはできなかった
守護大名の対立はやがて
応仁の乱を引き起こす
こととなった
東山文化を築くなど
文化人的側面でも知られる
息子である義尚に将軍の
地位を譲った後も、大御所
として政治に関与し続けた

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🌟室町時代の犬追物は
特定の誰か一人が
行ったというよりも
武士の嗜みとして広く行われ
特に有力な武将や将軍に
よって主催

足利将軍家
室町幕府の将軍たちも
犬追物を行っていました
例えば、足利義政が犬追物を
行った記録が残っています

🌟地方の有力な武将たちも
盛んに犬追物を行っていました

🌟島津氏
薩摩国(現在の鹿児島県) 
の島津家は、室町時代以降も
犬追物の弓馬故実
(きゅうばこじつ)を
継承し、明治時代まで
行っていました