民衆駅第一号
民衆駅(みんしゅうえき)
日本国有鉄道の駅において
駅舎の建設を国鉄と地元が
共同で行い商業施設を
設けた駅ビル形態の施設である

太平洋戦争によって
日本の主要都市は
空襲を受けて
焼け野原と化し
(日本本土空襲)
駅舎も多くが焼失した
戦後、国鉄は線路
車両の復興を優先して
行うことにしたため
多くの駅が仮駅舎の
ままでの営業を
強いられることになった
そのため国鉄では
戦災復興を地元と
共同で行うことを
目論むようになり
駅舎の建設に関して
地元の有力者たちの
資金を仰いで
その代わりに商業施設を
駅舎内に設けた
駅を造ることにした
私鉄では、小林一三に
よる阪急電鉄梅田駅を
初めとして商業施設を
設けた駅が戦前から
誕生していたが、国鉄では
初の試みと言えた
⏬️✨️日本初の民衆駅✨️⏬️

