豊橋空襲

⏬️✨️豊橋70年より✨️⏬️

(豊橋駅付近)

戦災被害

罹災世帯、17,019戶
罹災人口、71,502人

死亡、624人

重軽傷、344人

家屋の全焼又は全壊
16,886戶

被害面積、1,286,155坪
(豊橋戦災復興史草案による)
⏫️✨️豊橋70年より✨️⏫️
50万人が死に
100数万人が傷ついた
日本大空襲一
太平洋戦争における
米軍の日本本土爆撃は
昭和20年5月上旬
東京山の手に対する
大空襲から
敗戦無条件降伏の
8月15日までの間
5月上句
ヨーロッパ戦線でナチが
敗北し、 アメリカは
ヨーロッパ戦線の
航空機をも太平洋地域へ
動員して
もはや気息奄々たる
日本を連日空襲した💣️
この時期は
軍事目標もない
中小都市が毎夜のように
灰になっていった💣️
かくして6月19日〜6月20日
未明に豊橋市を襲った 
B29の編隊は
焼夷弾の雨を降らせ
僅か2時間そこそこの間に
市街地の90%が
灰燼に帰し、624人が死に
772人が負傷した💣️
焼夷弾の猛火を浴びた
市街地一帯は火の海となり 
火炎を逃れて柳生運河や
川に飛び込んだ
惨死体が浮かんでいたという
⏬️✨️豊橋70より
札木から旧額ビルを望む✨️⏬️
ここから豊橋は
軍都豊橋を捨てて
生き残った人々は
戦争の悲惨さ
苦しみ、悲しみを 
乗り越えて…
平和の願いと共に
豊橋市の発展に
市民も一丸となり