神野 三郎✨
(かみの さぶろう)
1875年(明治8年)5月28日 
1961年(昭和36年)4月30日)
愛知県西春日井郡清洲村
(現・清須市)出身の実業家!!
養父である初代神野金之助の
下で神野新田の開拓責任者となり
また1943年(昭和18年)
に設立された中部瓦斯の
初代社長を務めた!!
豊橋市名誉市民
出生名は竹田 三郎
(たけだ さぶろう)
生誕✨
1875年5月28日
愛知県西春日井郡清洲村
(現・清須市)
✨死没✨
1961年4月30日(85歳没)
✨国籍✨🇯🇵日本
✨出身校✨大谷派普通学校
(現在の名古屋大谷高等学校)
✨職業✨実業家
✨配偶者✨神野りき
✨子供✨長男、神野太郎
(中部瓦斯社長)
三男、神野三男
(名古屋鉄道副社長)
✨親✨実父:竹田晨正
養父、初代神野金之助
書籍の『神野三郎伝』に
神野三郎の昭和34・35年頃の
談話として、改称について
次のような記述がある📖
『最初は、確かに、ジンノだった
新田もジンノ新田だったが
大正の始め頃本家がカミノと
改めたのでわしのほうも、 
自然とカミノになったのだ』
出生
実家の竹田家は尾張清洲の
旧家である!!実父は
竹田晨正(長蔵)
実母は竹田ゑいであり
父親が42歳、母親が29歳の
時の子どもだった!!
父の晨正は愛知県第三区長
などを務めた人物であり
和歌や俳諧への造詣が深かった
三郎は5男4女の3男であり
長兄の竹田鋹太郎は東京法学院
(法政大学の前身)
を卒業している
ゑいは神野家出身であり兄弟には
初代神野金之助などがいる!!
⏬️インターネットより⏬️
学生時代
1875年(明治8年)5月28日
竹田三郎は愛知県西春日井郡
清洲村(現・清須市)
の旧家に生まれた!!
母方の祖父である神野金平は
早くから三郎の才覚
を高く評価しており
1883年(明治16年)11月20日
には神野金平の養子となり
後の義父となる叔父の
初代神野金之助の義弟となった
この際に清洲村から
海西郡江西村に転籍している!!
12歳だった
1886年(明治19年)9月
には名古屋市中区の
尾張小学校
(後の大谷派普通学校
現在の名古屋大谷高等学校)
附属科に入学し14歳だった
1889年(明治22年)7月
大谷派普通学校附属科を
卒業した!!その後は
大谷派普通学校普通科に進学し、
1893年(明治26年)3月
大谷派普通学校普通科を
卒業した!!大谷派普通学校は
仏教学者の南条文雄が校長を
務めた名古屋市初の
私立中学校であり
歴史学者の津田左右吉
衆議院議員の田中善立などを
輩出している!!
神野新田の経営
三郎の大谷派普通学校での
成績は抜群であり、
アメリカ合衆国への留学を
希望していたが
1893年(明治26年)
初代神野金之助が神野新田の
開拓に着手すると初代
神野金之助によって
現地責任者に抜擢された
名古屋から豊橋市牟呂町に転居し
学校卒業後わずか数か月の
1893年(明治26年)6月
には工事に従事している
1896年(明治29年)4月15日
には神野新田が完工し
榎本武揚農商務大臣らの
列席による成工式が行われた
1899年(明治32年)3月
には3年前に完成していた
牟呂用水の改築工事も完了した
1899年(明治32年)7月26日
初代神野金之助の三女で
ある神野りきと結婚した
りきは三郎のいとこでもあり
(いとこ婚)、三郎は25歳
りきは17歳だった
1905年(明治38年)3月17日
豊橋神野家の初代となった
1906年(明治39年)
農事試験場を作って農作物の
研究を重ね、小作農家に対する
農業指導も行った
豊橋蚕糸周旋会社(1907年)
東海ペニー株式会社(1917年)
豊橋電気軌道株式会社(1923年)
数多くの会社の設立にも
関与している!!
三郎は緑肥・堆肥によって
土壌の改良を試みたり
1908年(明治41年)に豊橋に
移転してきた日本国
陸軍第15師団が排出する
厩肥を用いたりし
神野新田の収穫量は
徐々に増加していった
こうして神野新田は模範的な
新田と評価され
新渡戸稲造一行(1912年)
松井茂愛知県知事一行(1913年)
竹田宮恒久王(1915年)
などが神野新田の視察に
訪れている
ガス事業など
1909年(明治42年)10月10日
には豊橋瓦斯(現在の中部ガス)
が設立され、三郎は社長の
奥田正香を支える常務取締役に
就任した!!
1910年(明治43年)5月23日
には浜松瓦斯(現在の中部ガス)
が設立され、三郎はやはり
社長の奥田を支える
常務取締役に就任した
1922年(大正11年)12月
浜松瓦斯の社長に就任し
1943年(昭和18年)9月まで
長きにわたって社長を務めた
1935年(昭和10年)4月23日
〜1937年(昭和12年)1月7日
までは岡崎瓦斯
(現在の東邦ガス)の社長も
務めている!!
1925年(大正14年)には
豊橋商工会議所の副会頭に
就任し、会頭の福谷元次
らとともに三信鉄道株式会社
の設立に尽力した!!
1930年(昭和5年)3月には
豊橋商工会議所の会頭に就任し
1936年(昭和11年)8月24
まで会頭を務めた!!
1943年(昭和18年)9月1日
には豊橋瓦斯と浜松瓦斯が
合併して中部瓦斯が設立され
三郎は初代社長に就任した
1944年(昭和19年)2月
には豊橋市東八町に転居した
同年3月2日には中部瓦斯の
社長を退任して会長に就任し
息子の神野太郎が社長に
就任した太平洋戦争後に
農地改革が行われると
1946年(昭和21年)2月には
神野新田の開放を発表し
同年5月には調印を実行した
晩年
1959年(昭和34年)11月3日
には豊橋市名誉市民に
推挙された!!
1961年(昭和36年)4月30日
に死去した!!
豊橋市神野新田町にある
神富神社の境内には
『神野三郎翁頌徳碑』が
建立されている
2020年(令和2年)7月には
穂の国とよはし芸術劇場PLAT
で神野三郎を主題とする
演劇公演「神野新田物語」
が開催される予定だったが
新型コロナウィルス感染症の
世界的流行の影響によって
延期となった!!