吉田御坊
🗺花園町🗺
花園商店街、広小路商店街など
賑やかな街並みのすぐ裏手に
東本願寺別院を取り囲むように
して真言寺院がある
吉田御坊とは
東本願寺の豊橋別院のことである
豊橋別院は、後に東本願寺を
建立した教如文禄4年(1595) 
花園町に来て創建したものである
鎌倉仁治(1240~43)の頃
川毛の森の中に西竺寺という
真言寺院があったが
このあたりを発展させるため
積極的に寺院を誘致したすなわち
『康和3年(1101) 
足助から正行寺(蓮泉寺)』
『永正6年(1509)正琳寺』
『永正5年浄円寺を』
『大永年間(1521~28)
西尾から無量寿寺(応通寺)が
そして願成寺等』 も相次いで
移転して来て、付近一体は
寺院街 として開けてきた
天正2年(1574)、城主酒井忠次
川毛の寺街から真言3か寺を
羽田地 (花園地)に集団移転させた
この時、馬見塚から蓮泉寺
伊奈から仁長寺も移ってきた
文禄4年、東本願寺宣如は城主の
松平忠利から西竺寺に
割り当てられた広大な寺域を
請い受け
『山号を西竺山誓念寺』とし
東本願寺末御坊とした
坊中は応通寺、蓮泉寺、浄円寺
正琳寺、仁長寺の
真言5か寺となった
戦前の御坊様は、花園町の
中程から西に通じる広い門前
が入口にあたり、突きあたりに
浄円寺があり、左に折れ
鍵の手に右に折れると
広くて長い参道があり
南に2か寺、北に3か寺の
伽藍が立ち並び、正面には
大きな 山門(太鼓門)があった
境内を入ると左に鐘楼
その奥に本堂大伽藍が聳えていた
☀晴天☀
町の中なので辿りつくのも
必死です爆笑爆笑爆笑