天満宮
(てんまんぐう)
菅原道真
を祭神とする神社である
道真公は丑年のお生まれであり
伝説では
丑の月の丑の日の丑の刻のお
生まれであった為であるとか
道真公がお亡くなりになられた
際に、棺を運ぶ牛が
お墓の予定地までの途中で
突然立ち止まり
押しても引いても動かぬ為
天神様が
『この場所に葬ってくれ』と
牛にお伝えになられたのだと
理解して埋葬された由縁から
牛はお使いの動物として
扱われるようになったと
いわれています🐂🐄🐃
また、別の説では
雷の神さまとしても慕われる
天神様の御神徳に由来して
農耕神としての性格から
牛がお使いの動物であると
言われたりと様々な説があります

菅原 道真✨
(すがわら の みちざね)
承和12年6月25日(845年8月1日
 延喜3年2月25日(903年3月26日
日本の平安時代の貴族、学者
漢詩人、政治家
参議・菅原是善の三男
官位は従二位右大臣
⇩✨日本の神々の辞典✨⇩
時代✨平安時代前期
✨生誕✨承和12年6月25日
(845年8月1日)
✨死没✨延喜3年2月25日
(903年3月26日)
✨別名✨尊称✨
菅公、菅丞相、天神、天神様
✨神号✨天満大自在天神
日本太政威徳天
✨墓所✨太宰府天満宮
✨官位✨従二位、右大臣
贈正一位、太政大臣
✨主君✨宇多天皇→醍醐天皇
✨氏族✨菅原氏
✨父母✨父、菅原是善
母、伴氏(伴真成の娘)
✨妻✨島田宣来子
✨子✨長男、菅原高視
女子、菅原衍子


忠臣として名高く、宇多天皇に
重用されて、寛平の治を支えた
一人であり、醍醐朝では
右大臣にまで上り詰めたが
藤原時平の讒言(昌泰の変)
により、大宰府へ大宰員外帥
として左遷され現地で没した
死後は怨霊になり
清涼殿落雷事件などで
日本三大怨霊の一人として
知られる
後に天満天神として
信仰の対象となり、現在は
学問の神様として親しまれる
太宰府天満宮の御墓所の上に
本殿が造営されている
小倉百人一首では、菅家