杉浦六太郎
『杉浦六太郎』は…
万延1年(1860) に現東細谷町旭島
の網元杉浦六右衛門の嫡男として
生まれた!!
農業に従事するかたわら網元
としての立場、現金収入としての
漁業の果たす役割の重要性から
漁獲高の向上と省力化・能率の
向上に意を注ぎ、ことあるごとに
先進地域を見て 回り、その技法を
取り入れようとした!!
地形条件のよくにている
九十九里浜視察の際、地引網で使
用しているロクロを見て感激参考
にすべく図に書き留めて帰村した
そして大工や鍛冶屋の力を借り
網を巻き上げる道具を作り上げた
それは、機織りに使う 『かせ』
を応用した もので
一辺が1.2m程の四角形をしており
4隅に4mくらいの棒を差し込んで
回すのであるが、牛を使う場合は
鞍を着けて引き、手綱は前の棒に
縛り付けて同じ円を回るようにし
人間の場合は1本の棒に2人ほど
掴まって押す!!これを
『エントマキ』といい、戦後 の
地引網は無論のこと牛がトラクター
に変わるまで使用された🐂🐂
このような彼の功績を後の世に
伝えるべく、記念碑が建てられた
のである!!ちなみに六太郎
父の死後『六右衛門』 (8代目)
を継ぎ、明治42年6月18日49年
の生涯を閉じた!!
後年、杉浦家においては六太郎の
嫡男杉浦武雄が、衆議院議員として
政界で活躍することになる!!


⇩✨あゆみより✨⇩