⇩✨廣田家✨庚申塔✨⇩
平安初期に宮廷貴族の間で
流行していた庚申講は
その後、武家の間にも広まり
やが て室町時代には一般庶民の
間に広く信仰されるに至った
庚申待(こうしんまち)
といえば、60日ごとに巡って来る
庚申の日に寝ないで延命長寿や
無病息災を かのえさる 祈る
行事である🙏🙏🙏
対象は仏教では帝釈天
(たいしゃくてん)と
青面金剛 (しょうめんこんごう)
であり、神道では猿田彦をまつる
この日は部落、隣組、血縁などで
つくられ たグループ(講)でまと
まっておまつりをした🙏🙏🙏
昭和のはじめころは、食事も悪く
米と麦と半分半分とか、
良くて米7分に麦3分のご飯を
食べていた時代、お庚申様の
お当番が
 『あさってはお庚申様だで
来ておくれんよ』とか
『子供さんも来ておくれんよ』
とかふれ回って来る🙏🙏🙏
⇩✨山の神✨⇩
前もって餅米を集め、当日は
庚申様のまつってあるところで
餅投げがあったり、当番の家で
お供え料理のお下がりや
いつもより 白いご飯で
呼ばれるのが子供たちにとって
この上ない楽しみであった🙏🙏
現在では、生活が豊かになると共に
地域の 共同体意識の希薄化などの
理由からか庚申様 の回数も
年6回から2回に減った🙏🙏🙏
東細谷町には庚申講が4組あり
山の神様に1組、お寺の所に
3組がある🙏🙏🙏この地方の
庚申講の信仰は
元禄(1688~1703)の頃から
始まったものと思われる🙏🙏
ちなみに真月寺境内にある
広田家一党の庚申塔に
享保2年(1717) と記してある🙏🙏
お百らいといって庚申の夜
当番の家に集まった人たちは
『南無梵天帝釋青面金剛童子』
(なむぼんてんたいしゃく
しょうめんこんごうどうし)
の念仏を百回となえる。
その後、会食し庚申様の
お祭りが終わる🙏🙏🙏

東細谷で今だに庚申講

やってるかはわかりません!!

こう言う資料があると

庚申講が近くにあったと感じられる