仏光山 真月寺
🗺東細谷町🗺
✨臨済宗✨元東観音寺末✨
✨本尊✨釈迦如来✨
当寺の創立は永和四年(一三七八)
開山華運椿公首座
(永和四年那が日寂)で、開基は
不明と伝えられ、 初め
旧下細谷十ヶ谷の地にあったが
創立後三百三十年を経て
宝永四年(一七○七)大海嘯の難に
遭い、享保二年(一七一七)
紹禪恵隆和尚の代、現在地に
移転再興したもので、創立当初
から東観音寺の末刹であった卍卍
享保 十三年の当寺書上に
『創立以来当年迄三百年間の当寺
住持位牌墓碑等は大部分なし』
記したあとに、中興開山周天座元
(応永三年九月九日寂)を挙げ
次代光礼富公首座は当寺現在の
本尊聖観音立像、伝行基作
一尺六寸を 勧請し、その際
旧本尊釈迦如来像を同村の
医王寺に贈り
寛文二年十一月二十六日初めて
薬師仏を勧請して境内に堂宇を
建立した事を記してある卍卍
冨公は大阪の人と云われ
寛文十三年七月示寂した卍卍
当寺の本尊聖観音に就ては
前記の通りで、脇壇安置の
薬師三尊は前記薬師堂の本尊を
移したものである卍卍
当寺伽藍の変遷は明かでなく
安政三年本堂再建の棟札があり
次で昭和二十四年旧堂を取毁って
新築したのが 現在の本堂で
この時境内にあった前記薬師堂を
廃却して仏像のみを本堂に
移したがこの薬師堂に就ては
寛文 二年十一月二十六日
宝永三年十二月初六日
文化十二年等の新築再興の
棟札が残っている卍卍
旧幕時代当寺は寺子屋を開き、
明治五年廃止後は好学の士に
漢籍を講じて明治二十五年まで
継続した卍卍
戦時中仏具什器の一切を供出し
昭和十九年秋以降兵員五六十名が
滞在し、戦火をば免れたが
農地法によっ て耕地九反歩を
失った卍卍当寺は
大正五年法地に転格し
昭和十七年旧寺号真月院を現在の
如く改め、二十七年妙心寺直末
となった卍卍
🌞晴天🌞





真月寺は、追々…📚💦