秋山助六郎

秋山少佐の略歴

明治21年8月4日士官候補生として

    歩兵第18連隊に編入

明治21年12月27日陸軍士官学校

    へ 入校

明治23年7月29日陸軍士官学校

    卒業同日第18連隊に帰隊

    陸軍歩兵曹長の階級に進む

明治24年3月26日任陸軍歩兵

    少佐尉補歩兵18連隊付

明治25年2月3日叙正8位

明治27年8月動員下令連隊旗手

    として日清戦役に從軍平壌

    海城、牛荘の戦闘に参加

明治28年6月27日凱旋

明治28年10月31日

    陸軍歩兵尉   

明治28年10月31日清戦役の功に
    依り功5級金鵄章並年金300円及
    勲6等瑞宝章を授けられる
明治29年9月25日免本職補歩兵
     第3連隊副官
明治31年10月11日任陸軍歩兵
    大尉補歩兵第18連隊中隊長
    第8中隊長を命ぜられる
明治34年12月26日叙正6位
明治37年3月6日動員下令第8中
    隊長として南山、得利寺、蓋平
    大石橋、海城の戦闘に参加
明治37年8月31日に新立屯西
     高地付近に於いて前額部刺創
     左右大腿部貫通銃創にて戦死

★明治27年8月動員下令連隊旗手
     として日清戦役に從軍平壌
      海城、牛荘の戦闘に参加
⇩✨坂の上の雲より✨⇩
✨日清戦争✨
⚔⚔牛荘作戦⚔⚔

1895年3月4日

🗺遼寧省牛荘(現在の営口)🗺

大日本帝国陸軍の勝利

豊島沖ー成歓ー平壌ー黄海ー

鴨緑江ー旅順口ー威海衛ー牛荘
澎湖ー台湾
⚔⚔平壌の戦い ⚔⚔
1894年9月15日
🗺平壌🗺
大日本帝国陸軍の勝利
豊島沖ー 成歓 ー平壌ー 黄海ー
鴨緑江ー 旅順口ー 威海衛 ー牛荘ー
澎湖ー 台湾
⇩✨歩兵第18連隊史より✨⇩

明治37年3月6日動員下令
    第8中隊長として南山、得利寺
    蓋平、大石橋、海城の戦闘に参加
⇩✨坂の上の雲より✨⇩
✨日露戦争✨
⚔⚔南山の戦い⚔⚔
(なんざんのたたかい
ナンシャンのたたかい)
遼東半島・金州城の南近郊の
南山と呼ばれる所で1904年
行われた、ロシア陸軍と
日本陸海軍の戦い⚔⚔
ロシア軍は機関銃などを装備し
南山はある程度要塞化されてい
たため、半ば塹壕戦攻城戦
となった⚔⚔
日本陸軍第二軍は敵に倍する
兵士を擁していたにも
かかわらず総兵力の10%を
超える兵員を失ってしまった⚔⚔
1904年5月25日 - 5月26日
🗺遼東半島、旅順北方🗺
日本軍の戦略目的達成
旅順口ー仁川沖ー旅順閉塞ー
鴨緑江ー南山ー得利寺ー黄海ー
蔚山沖ー宗谷沖ー旅順攻囲 ー
摩天嶺ー大石橋ー析木城ー遼陽 
沙河ー黒溝台ー奉天ー日本海ー樺太
⚔⚔得利寺の戦い⚔⚔
(とくりじのたたかい)
日露戦争中の戦いの一つで
旅順に篭っていたロシア軍を
援護するために得利寺に陣地を
構築中であったシベリア第一軍団
とそれを攻撃する日本陸軍第二軍
の間で起きた⚔⚔
1904年6月14日 - 6月15日
🗺遼東半島、得利寺駅付近🗺
日本軍の勝利
旅順口ー仁川沖ー旅順閉塞ー
鴨緑江ー南山ー 得利寺ー 黄海ー 
蔚山沖ー宗谷沖 ー旅順攻囲ー 
摩天嶺ー大石橋ー析木城ー 
遼陽ー沙河ー黒溝台ー奉天ー 
日本海ー樺太
⇩✨歩兵第18連隊史より✨⇩

明治37年8月31日に新立屯西
     高地付近に於いて前額部刺創
     左右大腿部貫通銃創にて戦死