柴田文一
現在の農業協同組合 (JA)は
農村の振興を目指す組織として
大正初年に発足した産業組合から
戦時中の 農業会、戦後の農業協同
組合と、時代と共に変化してきたが
その農業協同組合の前身である
高師産業組合の生みの親が
柴田文一 氏である!!
柴田文一氏は、明治19年(1886)
藤並村の生まれである👶
氏は、村役場に勤めるかたわら
土木委員として大井用水工事の
推進をはじめ、早くから産業組合の
必要性を説き、その設立に力を
注いだ人である💪💦そして
産業組合が設立の運びとなった
大正2年(1913)、 初代組合長となり
以後10年間自宅を事務所として
提供するなど、組合の進展に大いに
貢献された💦💦
そして30年にわたり、組合長理事の
要職も勤めるなどの実績に対して
自治産業功労者として表彰を受け
られたのである!!
氏は、特に貯蓄の増進や組合発展の
具体策の指導に尽力されたと
尊敬をもって語り伝えられている!!
後年、組合敷地の一角に氏の記念碑
が建立されている!!

高師地区は、三廟九社

大玄法師と狐、庄屋源吉碑など

高師地区とりあえず終わりました💦