✨貞頼と熊太郎✨
家来の貞頼と熊太郎は『公文村』
に住んで守護していた今でも
貞頼、熊太郎塚がある!!
御殿のあとは『王ノ木』といって
塚がある!!近ごろまで
大きな桜があったが
宝永年中(一七〇四~一〇) 大風で
倒れてしまった🌲御殿の南東に
『お成り屋』があった!!
開元王は度々お出ましになって
お后を召され 行きあいなさった
ので此処を『行合村』と申します!
この御屋敷の南門に土橋があった!
ここを『おけぐち』と言います!!
王家の口と書く!!さて市場に
お住まいのお后は……
送られましたが、その使の人が
文箱をくだかれ中 の手紙を皆んな
が読んでしまったので、そこを
『公文村』といいます!!
公文とは、『きみふみ』
と書きます!!その頃はまだ
領主などはなかったので勝手に
土地を開いて思いのままに
暮らしていたが
貞頼と熊太郎は代官として
牟呂を支配していた!!