ええじゃないか
(おかげまいり、ぬけまいり)
『おかげ参り』
江戸時代に起こった伊勢神宮への
集団参詣!!
白装束でおかげ参り!!
村でお金集めて1人代表で
おかげ参り!!
『おかげ参り』する事により
神の奇跡が起きる!!
『ぬけ参り』
隷属的な身分の人民が
主人の許可をえることなく
無断 で家を出て参詣したところに
『抜参り』『ぬけまいり』
たる意味がある!!
人に知らせずお伊勢さん参りへ!!
物乞いしながらぬけまいり!!
ぬけまいりから帰ってきた人を
罰するとバチが当たる!!
『おかげ参り』『抜け参り』
『ええじゃないか』
結びつくのかは、謎!!
徳川が収める様になり
天馬(宅配)、飛脚(郵便)が発展!!
海は湊⚓の整備…
外国さんの防衛の為の
大型船、大砲、整備
道は鎌倉街道、姫街道など
新しく東海道まで…
庶民が行けない所まで
行けるようになる!!
『おかげ参り』が流行りだす
のもこう言う影響も
あるのかと思う!!
『ええじゃないか』
伊勢の山田で
10月になってはじめ!!
宮川の上の渡船場へ
豊受大御神の御祓が降り…
ええじゃないかは、空から御祓
が降ってる来ると…
ええじゃないか、ええじゃないか
で群衆で踊る!!
御祓、生首、人間、馬、お金
なんでも空から降ってくる!!
『政府の事などどうでも
ええじゃないか』
『幕府でも朝廷でもどちらでも
ええじゃないか』
と言う意味が含まれる!!
民衆の『世直し』
豊橋、牟呂八幡宮から始まる!!
慶応3年の御札降り
 (ええじゃないかの発端) 
慶応3年(1867) 7月14日
牟呂村大西 (牟呂大西町)に
伊勢外宮のお札が降りさらに15日
伊雑宮や内宮のお札が降った!!
村人たちはこれは神が祭りを
させようとしているに
違いないと考え!!
牟呂八幡宮神主森田光尋
牟呂3組の庄屋たちは
お鍬祭の例にならって 
二夜三日の遊び日(祭礼) と
することにした!!
18日午後から各村それぞれ手拭い
 三尺帯など揃いの衣装で
『三百年は大豊年』
の古歌をうたい♪♪♪
八幡宮への道々餅や饅頭を投げ
手踊りをした!!
八幡宮では神事が行われ
酒が振る舞われ大群衆の声は
お宮の森にこだました!!
この後周辺の羽田村 草間村 
橋良村 吉田宿などでも
次々と御札が降り祭礼が行われた!!
吉田宿での騒動は東海道を通じて
東西へと伝わり西へは8月末に名古屋
9月に大阪 10月に京都
さらに近畿一 円に広がりを見せ
11月から翌年にかけて
中国四国地方へも伝播していった!! 
11月には江戸でもお札降り
があった!!一連の騒動は
『ええじゃないか』と呼ばれ!!
ペリー来航 以来の幕末の政治的
経済的混乱が続くなか
人々による世直しを
希求する意識が
生まれていたことが
騒動発生の一因とされる!!
牟呂村 でのお札降りは
『ええじゃないか』
騒動の発端であり
牟呂村の御札降りの経過を
詳細にとめき書き残した
『留記』
(牟呂八幡宮神主森田光尋筆)
豊橋市有形文化財に
指定されている!!
⇊✨ええじゃないか✨看板⇊
⇊✨鼓楼説明看板
豊橋空襲で燃えて🔥
池田輝政が寄贈!!