✨中島重春✨
2代目中島重春は、父 重好が
死んだ時、2歳
9歳になった重春は父の
領地607石を継いだ!!
2代将軍秀忠に大崎の
水軍を命じられ中島家は三河湾の
警備にあたり舟手奉行を勤めた!!
軍船は長飛丸(38丁立)
千鳥丸(18丁立)
小早名月丸(12丁立)3隻🚤
秀忠が上洛の際には新居の渡海へ
『長飛丸』回し
家光上洛の時は、『千鳥丸』を
御座敷船として重春
自ら案内役としている!!
太平の世になり、舟手の役を
解かれ交代寄合衆に任じられた!!
交代寄合は、旗本並であるが
老中の下に属し、譜代大名並!!
柳間詰めとして12月に参府し
『年賀の義』を終えると
大崎に帰った!!
年末年始の礼に座る席は3000石
以上の寄合肝集合の上席!!
重春は、高柳治郎右衛門と
その子安右衛門に梅田川河口の
開拓を命じ『舟渡郷』
を完成させた!!
✨船戸郷の開墾碑✨
読める所なんとなく😁💦
地下の童浦より社移し名称を
『若宮八幡宮』
として建立した檀願人は
高柳十右門とある!!
この辺りから大崎郷と
船戸郷になるのか…
中島家をお勉強します💦💦💦