今日でアメリカの「アポロ11号」が、人類初の月面着陸を果たしてから、ちょうど46年が経った。
1969年の7月16日~24日(多分アメリカ時間)、全世界がその旅路を固唾をのんで見守り続けた9日間だった。
当時は月面着陸の20日だけじゃなくて、月に向かっている過程も含め、連日テレビ中継されていた。
その間に、すっかり有名人になったのが、ヒューストン(NASAの発射基地)とアポロ11号の交信を逐一同時通訳した西山千(ニシヤマセン)氏だ。
彼の通訳で数え切れないほど発せられた「全て順調」は、当時のすべて日本国民の耳に印象深く焼き付いている。
この時の私は高校1年生。
アポロ11号のことは、特に私のプロフィール
に書いてある。
【その時、私は…。】のタイトルで「1969年7月」の項で書いた。
実は、私のアポロ11号にはさらに後日談があって、それは夏休みが終わってすぐに訪れた。
高校では毎年9月下旬に文化祭があり、夏休みが終わると直ちに「何をやろうか?」という議題で学級会議が行われる。
初めての文化祭で、予想通り意見は全く出なかった。
私は学級委員だったのと、夏休みの経験が忘れられなかったので、「アポロをやろう」と手を挙げた。
対案も無かったので、すぐに私が責任者(当時リーダーって言葉無かったね)となって動き出すことになった。
振り返ると私は資料や展示物の用意に積極的に取り組んで、造作物の製作(つまり大工仕事)って、卒業まで殆どやった記憶がない。
文化祭の風景ってそんなのが頭に浮かぶのだが、私の場合は「見た風景」ってことだな。
成人後は日曜大工もまあまあやってるので、その頃は興味無かったんだな。
でも、逆にそういうのが好きなやつもちゃんといて、頼んだ記憶も無いが、みんな黙々とやってくれて格好は付いた。
そんなアポロの企画が決定直後の9月半ば、真っ先に私は同級生1名と共に、アメリカ大使館を訪ねた。
ネットの無い社会、そこ以外に思いつかなかった。
当時は米大使館と言えども、情報公開という言葉すら無い時代だったので、手に入れたのは薄っぺらい定期刊行物やブローシャーだけで、ビジュアル的に使えそうな写真は2・3点だけだった。
予想外に不作だった心許ない資料をもらい、ややこのテーマ自体に初めて後悔しながらエレベーターに乗り込むと、途中の階から救世主が乗って来た。
そう、西山千氏が同僚の方と二人で乗ってきたのだ。
私たち二人とエレベーターの中は四名になった。
この状態はいつまでも続かない。
私は、すかさず「あの、西山さんでいらっしゃいますか?」と、まず声をかけた。
西山さんは日常を過ごしている勤務先の中で油断してたのか、少し驚き、また明らかに乗り気じゃない雰囲気で「はい、そうですが、」と答えられました。
私はその間に愛用のB5のノートと万年筆を学生カバンから出し、
「あのう、サインお願いします」と、
西山氏に差し出した。
しかし西山氏は、きっともうそんなことにウンザリしてたのだろうか。
「いや…、私はそういうのは、遠慮しておきます。」と、アッサリ断られてしまった。
全くの子供だった私は有名人という人は頼めばサインをしてくれるもんだと思っていたのでひどく驚いたのだが、アポロからまだ2カ月で西山さん本人がいかにも「弱ったな」というオーラを出していた。
私もさすがに「あぁ、ダメですか?はい。」とノートとペンをしまおうとしたら、ここでまた二人目の救世主が現れたのである。
隣にいた西山氏の同僚の方であった。
「おい、少しくらい書いてやったらいいじゃないか?」
と、西山氏に進言してくださったのだ。
すると西山氏は「うーん、そうか?」と同僚氏の顔を見てから、
私に「じゃ、いいですよ。」と、
ノートと万年筆を受け取り、本当にサッサと手早く書いてくれた。
私は込み上げる興奮を押し殺し、その様子を見守っていた。
西山さんは長身痩躯というタイプで、私は少し見上げている感じだった。
相手が高校1年坊とはいえ、あくまで事務的な態度で接したい西山さんは抑揚なく「ハイ」と手渡してくれた。
その後のことはあまり覚えてないが、「ありがとうございます!」と礼を言った時にはちょうどエレベーターのドアが開いたところで、確か私ら二人組だけが降り、中に残った西山さんにまた一礼してその場を辞したように思う。
とにかく降りたエレベーターの前で今起きた大変な出来事に有頂天になった。
当時はガッツポーズも無い。
ただ、「これがあれば、他に何もいらない!」、「これでもう成功したな!」「すごいな!」とクラスメートにまくし立てた。
当時日本人で知らない者など一人もいないと思われた話題の人なのだから、そう思うのも当然だった。
ついさっきまでの失望落胆はどこへやら、全身に力が漲った。
しかしながら、文化祭で西山氏のサインは最高の扱いで特等席の場所に陳列したのだが、思いの外テーマが地味だったのか客足があまり呼べず、サインも「まさか」の存在過ぎたのか来場者の反応も期待したものではなかった。
でも、深く考えずに会場に置いたアンケートには、どなたか大人が書いてくれた客観的で好意的な書き込みがあり、思いもしなかった「大人の視点」に気付いたり、自分なりに成長できた貴重なイベントだった。
米大使館に西山さんがいることすら知らなかったのに、そこにほんの30分足らず滞在しただけなのに、しかもまさか同じエレベーターに乗り合わせるとは!
信じられない程の、大変な幸運だった。
※正直、ここで一生分使ってしまったのかも…(苦笑)
そのサインが先日、古いアルバムを整理(終活!)していたら、途中に挟まっていたのだ。
最後に見たのは30年前くらいだろうか。。。
これだ。
若い人や興味の無い人にはいつもすみません。(笑)
今思えば、半年前まで中学生だった自分が、なぜ全くの躊躇もなく文化祭のリーダーに手を挙げたのか、考えてみると不思議でならない。
高校の成績は卒業に向かって徐々に落ちていったのだが、こうした貴重な経験を10年分くらい、目一杯できた三年間だった。
高校時代の友人・先輩・後輩とは今でも楽しく付き合ってもらっている。