私の父方の祖父は戦時中に亡くなったため、直にその顔を見ることはできなかった。
小学校低学年の夏休み、岐阜にある父の実家に遊びに行くようになり、その頃にそこで祖父が医者をやっていたことを母から聞いた。
行って見ると確かにもう使われていない医療用什器の幾つかがあり、祖父の遺影も初めて見ることができた。
ただ子供だったので、古過ぎるものへの畏敬や不気味さが先立って、聴診器などを見せられてもあまり興味を見せることはできず、ましてやそれで遊ぼうなどとは露ほどにも思わなかった。
更に高校生になると祖父が江戸時代生まれだったと聞いた。
それより前にも聞いていたかもしれないが、記憶にはない。
私の小さい頃は近所にも江戸時代生まれだというお爺さんが何人かいた。
一時そういうことに興味を持った頃があり、その家(店)に行って不躾にもお爺さんに直接「お爺ちゃん、江戸時代に生まれたの?」と声を掛けて、いろいろ質問をぶつけていたのだと思う。
しまいには友達を連れて引き合わせたりした。今思えば珍獣扱いだ。
我が家には祖父母がいなかったので、私には興味深い話が聞けたのかもしれない。
さて、我が祖父について。
江戸時代生まれとは聞いたのだが、肝心の父が祖父の生年月日を覚えておらず、具体的に何年生まれなのかがずっとナゾだった。
明治政府から発行された医師免許の番号がかなり若いので、親戚の間ではそんなにスレスレの幕末ではないのではないかとの推測しかなかった。
最近では、江戸時代生まれなんてひょっとして何かの間違いということもあるのではないかと私の中では疑念も生まれていた。
しかし、今回の引っ越しでいろいろ家財をひっくり返している中で、昨日重大な手掛かりを見つけた。
祖父母の位牌があったのだ。
なんだ、これなら岐阜にだってあるだろうに…。
普段じっくり見ることはないが、これを見れば故人の生年を特定できるのだ。
そこには故人の没年月日、俗名、戒名、行年が記されているから。
それからすると、祖父が生まれたのは1864年。僅かだが1865年の可能性もある。
また元号で言えば、おそらく元治元年(文久と慶応の間)と思われる。
昭和19年、当時としては長寿の79歳で亡くなっている。
祖母は、祖父より15歳も年下だったので江戸時代ではなかった。
昭和13年、58歳で亡くなった。
これで、父は祖父が54歳、祖母が39歳の時の子供であることも分かった。
4人兄弟の末っ子とはいえ、人生50年と言われた時代としてはかなりの晩年子?と言える。
我が両親は10歳差の夫婦で、私は父36歳時の子供。
私は5歳下の妻と結婚したが、36歳で子を授かった。
閑産という言葉があるとしたら、ウチの家系はまさしくそれだ。
ここまで生きてみると、世代継承のサイクルは短くあるべきだと思う。
まず親と歳が近ければ、親の育った環境、価値観・考え方を理解しやすいだろう。
ひとつの家系で同時代に世帯が多くあることは、身近により多くの家庭を横に見ながら自らの家庭を築いていける。
より固い絆を感じられる親族が得られる可能性が増える。
我が子は遂に一人っ子となったが、相変わらず晩婚・晩産となれば、子供の未来を案じたまま死ぬほかない。
これは国全体に共通する傾向だろう。
孤独で寂しい人生。
それが当たり前に思えたら、悲しい。
↓ 最近整理して出てきた祖父の遺品
ちゃんと装丁して巻物になって保管されていた。
ネットで見ると紙ペラの状態のものが多いようだ。
これは祖父の死直後の昭和19年4月発行との記載があるので、実は新たなナゾになっている。
亡くなった父や伯父はコレクタータイプではないので、これに関与はしていないだろう。
ただ鑑定士によると遺品の多くは、極端に古い物はなく、祖父の存命中あるいは晩年期の作品ではないかと言っていた。
祖父がどのような死に方をしたのか知らないが、最晩年に予約をしていたのかもしれない。
この作品は完全に企画ものなので、予約募集後に印刷・発行していた可能性は高い。
現代と違って、当時は思い立っても容易に物を手に入れられない流通体制であるから、予約して購入するスタイルは一般的なものだったろう。
伯母たちの話では、明治時代には珍しく、時々来ていたドイツ人の行商からワインを買って飲んでいたとも聞く。
そんな流通だった。
まあ、医業なのでドイツ人の行商が来ていたのは特殊だったろうけど。。。
岐阜の家には様々なものが蔵に残されていたが、父に回ってきたのは掛け軸が多かったために傷みが目立ち、
皆二束三文の値で買い取られていった。
どこかに木戸孝允(桂小五郎)の揮毫があるらしいという話も聞いていたが、今回の遺品の中では確認できなかった。
