美大講師の限界。 | maple8cinnamonのブログ

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メープル・エイト・シナモンです。
テレビやWebで見たことをキッカケに、ふと昔のことを思い出したり、
今、自分のすべきことを思い付いたりする年金暮らしの日々。
お暇な方だけお付き合いいただければ幸いです。

こんにちは。
AKB48の峯岸みなみ(みぃちゃん)と女性ボーカル3人組のBeeBeeを推してるmaple8cinnamonです。

昨日は冷たい雨の降る中、子供の通ってる美大の卒業制作展が公開されていたので妻と行ってきた。

我が子は映像学科で、我が子を含む複数の学生の作品を立て続けに上映している教室を探し当て、音を立てないように最後列に滑り込んだ。
今は作るのも映すのもパソコンで事足りる。
映像の世界でノンリニア編集なんて言うけど、今は作画・撮影から映写までノンリニアだ。

とにかく便利になった。
だからこそウチみたいな貧乏家庭でも子供を美大に通わせることが出来てるのだ。
これが日本画科や油絵科なんかだと授業料以外に画材費が相当掛かっただろう。
考えただけでゾッとする。

教室では我が子と同じアニメを出品した学生の作品が、一挙上映されている。
一作あたり大体5分前後だから、1日に何クールも流しているのだが、一通り観た。

確か、2年くらい前にも進級作品展に来て、この時はカミさんが慌てて教室を間違えてしまい、肝心の我が子の作品を見損なった。
他所の教室で他所の子の作品をさんざん見終わったときには最終クールが終わっていたのだ。
後日、子供が不承不承見せてくれた気がするが、そんな形だったので内容についてはまったく思い出せない。

昨日はウチの子供を含め、尺が短かい作品が多かったが、中身のテンポはあまり軽快ではなかった。
カミさんのような素人代表みたいな人間には、画の切り替え、BGMが重いものが落第作品となる。
CMみたいな感覚で見てるのかもしれない。
その点で、我が子は見事、家内の及第点を獲得できた。テンポ良く、安定感のある作品を評価していたようだ。

確かに伝えようとしてる内容は少ないし、深いものではないので冗長なやりとりを見守っているのは苦痛である。
それでいて、ストーリーが突拍子も無く飛躍して鑑賞者としてついていけない作品も多く、観る者に対する配慮の足りない「粗い仕事」のオンパレードだ。

他会場の展示作品でも、1点ものであればタイトルだけでいいのだが、デザインの連作を複数のパネルでプレゼンし、基本と思われるグランドデザインはまた更に大きなパネルを使って並べているようなものは、個々に何も書いていないので、それら複数のイメージをそれぞれどのような位置付けで評価するべきか解らない。
そんなのばかりだ。

出展前に各学生は、担当教官の「講評」とやらを受けてここに出品しているはずなのだが、そこで教官は学生から口頭で作品の説明を受けている訳だ。
教官はそれで作品内容を理解し、講評することが可能になるのだ。
教官は学生作品の企画制作の動機・姿勢・過程・仕上げについて述べるまでが仕事らしい。
作品を世に出す際のマナー、鑑賞者との関係構築については無関心のようだ。

ここで、教官の社会経験がいかほどのものかが伝わってくる。
通常、作品が世に出る場合は常に作者が付き添って直に説明することなどあり得ない。
作品は時に多数複写され、世の中を一人歩きするのだ。

そこで作品は自ら語り、主張しなければならない。それで存在が認められるのだ。
それはアーティストならずとも、社会でプレゼンというものを数え切れないほど経験すれば自ずと解る事だ。

クライアントにプレゼンに行ったら、担当者が急な会議で面談が出来なくなってしまった。
その際にやむなくプレゼン資料だけを預けて帰ることだって、大いにあり得るのだ。
もちろんあとで電話でフォローを試みるも、非常事態となれば何度もすれ違いになることだってある。

レポートの中にも油断は潜む。
統計データのグラフのx軸y軸が何かを表示していても、数値単位が書いていない。
あるいはそれが何を表すグラフか、タイトルが無く、そのページの本文を読まないと判らない、といった「仕事の粗い」欠陥作品は世の中にたくさんある。
しかし意外とそうした欠陥を欠陥と思わず、せっかくの反面教師を生かさない鈍感な輩が多い。

スポーツで学生が社会人を負かすことはよくあるが、実務となるとそうはいかないのはそもそも教官のレベルが「しょせん学校」「しょせん学生」程度に留まっているからだろう。

出来れば、作品の完成形がどのような要件を満たしていなければならないかを学生に伝えてほしい。
出来れば、スタートする前に目指す形を教えてあげて欲しいものだ。

これでは、一般の学部に比べて数段高い授業料を払ってきた私が浮かばれない。