日本の鉄道史は、幕末の1853年にロシアのエフィムプチャーチン率いる4隻の軍艦が長崎に
入港し江戸幕府と開国の交渉を行い、日露和親条約を締結させた約半年間に及ぶ滞在期間中
日本人を艦上に招待し、蒸気車の鉄道模型を見せたのが始まりです。この時招待されたのは
幕府の川路左衛門尉、佐賀鍋島藩の本島藤夫と同じ飯島奇輔らでした。実物の模型を見た時の
衝撃は大きく、佐賀藩士は藩に戻って藩主に報告し2年後の1855年には、模倣で自製の蒸気
機関車の模型を完成させました。長崎に続いて1854年には横浜応接所で蒸気車の模型が走り
この時は模型と言っても人が客車の屋根にまたがって乗車しました。この模型は日本の開国
指令を受け来航した、アメリカのマシュー・ペリー提督が、2回目の日本訪問に際して大統領
から将軍への献上品として持参した物の一つでした。

「ペリー提督日本遠征記」より「横浜蒸気車の図」 ハイネ筆 1856年 淡彩銅版画
1854年1月 ペリー提督 将軍徳川家正への献上品のSL模型陸揚げの図
長さ1.8m フィラデルフィア・ノリス商会製 3月21日横浜応接所で運転

1855年8月 佐賀藩主鍋島直正が鋳造冶金研究所の佐賀藩精錬方の三人に作らせた
SLの模型(長さ40cm) 陣内松齢画「佐賀藩精錬方絵図」より

我が国最初の蒸気車の模型