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南野クラフト建築設計室 きまぐれ日記2

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2月23日開催、三岐鉄道歴史電車三岐線編!

車内で解説を行いますが、時間的に説明しきれないので、画像と共に補足をさせて頂きます。

 

その2は、富田駅・近鉄富田駅~大矢知駅です。

 

まずは、古地図で、路線位置と駅名をご確認頂きたいと思います。

 

富田町富洲原町地圖(昭和六年九月一日發行)

二万五千分一地形圖名古屋六號桑名ノ二 

  (明治二十三年測圖之縮圖昭和十二年第三回修正測圖同三十年資料修正(行政区画)) 

  (昭和三十年一月三十日 地理調査所發行 国土地理院提供)

  二万五千分一地形圖四日市近傍七號(共八面)名古屋六號桑名ノ四

  (大正九年測圖昭和七年修正測圖) 

  (昭和十年七月三十日 大日本帝國陸地測量部發行 国土地理院提供)

 

富田駅 【起点距離0.0km】

 所在地:三重郡富田町 → 1941(昭和16)年2月11日 四日市市編入、四日市市富田

 1894(明治27)年7月5日:関西鉄道富田駅として開業

 1907(明治40)年10月1日:国有化 

                → 1909(明治42)年10月12日 線路名「関西本線」制定

 1931(昭和6)年7月23日:三岐鉄道開業による乗入れ

 1985(昭和60)年3月14日:旅客営業休止

 

1953年頃の様子(所蔵:三岐鉄道)

1970年頃の様子(所蔵:三岐鉄道)

富田駅に停車中のモハ130(1966年11月 所蔵:三岐鉄道)

1990年代末期頃までは、現在の三岐通運本社の位置に、セメントサイロと貨物荷役ホームがありました。

また、東口にも駅舎があり、こちらは三岐鉄道が管理を行っていました。

現在の様子を跨線橋から見てみます。

現在は、貨物ホーム・東口駅舎、ホーム上屋・跨線橋連絡階段が撤去されています。 

ホームには0キロポストがあります。

開業時から、車両区が1958(昭和33)年に保々駅へ移転するまで、富田機関区がありました。

現在、富田機関区跡地は、三岐鉄道自動車部バス車庫となっています。

 

富田西口駅 【起点距離0.4km】

 所在地:四日市市富田

 1965(昭和40)年7月1日:開業

 1985(昭和60)年3月14日:廃止 ← 富田~三岐朝明間旅客営業休止による

 

1980年代の富田西口駅(所蔵:三岐鉄道)

近鉄名古屋線近畿日本富田駅(現近鉄富田駅)の乗換えを考慮し、近鉄名古屋線と三岐線の立体交差北東側に設けられていました。 無人駅で乗車券発売等は無く、他駅からは「近鉄富田」駅と同駅扱いとして、乗車券類が発売されていました。

 

富田~三岐朝明間の旅客営業休止後は、ホームは撤去されて、現在は駐車場になっています。

 

近鉄富田駅 【近鉄富田起点距離0.0km】

 所在地:三重郡富田町 → 1941(昭和16)年2月11日 四日市市編入、四日市市富田

 1929(昭和4)年1月30日:伊勢電気鉄道西富田駅として開業

 1936(昭和11)年9月15日:参宮急行電鉄が伊勢電気鉄道を合併 → 名古屋伊勢本線

 1941(昭和16)年3月15日:大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併 

                     → 関西急行鉄道 関急富田駅に改称

 1944(昭和19)年6月1日:関西急行鉄道が南海鉄道を合併 

                     → 近畿日本鉄道 近畿日本富田駅に改称 

 1970(昭和45)年3月1日:近鉄富田駅に改称

 1970(昭和45)年6月25日:三岐鉄道近鉄連絡線開業による乗入れ

 

近鉄連絡線開業時に設置された西口駅舎(2008.3.22)

現在駅舎は2008(平成20)年11月に建て変わり、富田地区の鯨船行事にちなんだクジラ形になっています。

近鉄名古屋線名古屋行ホームと共用した3番線が三岐鉄道近鉄連絡線です。

近鉄連絡線末端部 

 

かつては、近鉄富田駅で縦列留置の列車が存在したため、こちらにも車輌が入っていました。

 

三岐朝明駅 【富田起点距離1.0km、近鉄富田起点距離1.1km】

 所在地:四日市市西富田町

 1950(昭和25)年10月30日:開業

 1970(昭和45)年6月25日:近鉄連絡線開業 → 分岐駅となる

 1985(昭和60)年3月14日:廃止(信号場化) ← 富田~三岐朝明間旅客営業休止による

 

1980年代の三岐朝明駅(所蔵:三岐鉄道)

駅廃止、信号場化後にホームは解体されましたが、基礎部は現在も残っています。

では、近鉄連絡線の築堤側を見てみます。

一番手前の架線柱が3本建っていますが、左側が近鉄連絡線、右側が三岐線です。

 

大矢知駅 【富田起点距離2.5km】

 所在地:三重郡大矢知村 → 1954(昭和29)年7月1日 四日市市編入、四日市市大矢知町

 1931(昭和6)年7月23日:開業

 

1980年代の大矢知駅(所蔵:三岐鉄道)

現在の大矢知駅

現在は島式ホームで上下2線になっていますが、かつては現在の自転車置場・駐車場部分に貨物側線・貨物ホームがありました。

 

その3へ続く

2月23日開催、三岐鉄道歴史電車三岐線編!

車内で解説を行いますが、時間的に説明しきれないので、画像と共に補足をさせて頂きます。

 

第2回のテーマは「旧駅・未成線」ということで、2月16日の北勢線に続き三岐線でも開催です。

三岐線の概要

 三岐線は1931(昭和6)年開業の全線単線、軌間1067mm、直流1500Vの電化路線で、JR関西本線富田(三重県四日市市)と西藤原(三重県いなべ市)を結ぶ26.5kmと、1970(昭和45)年6月に開業した近鉄富田~三岐朝明信号場間の近鉄連絡線1.1kmからなり、現在貨物列車は富田~東藤原間、旅客列車は近鉄富田~西藤原間で運転されています。


 三岐鉄道の開業は1931(昭和6)年ですが、建設計画が誕生したのは意外に早く、鉄道開業から50年ほど遡った明治時代のことです。1883(明治16)年、三重県と岐阜県を結ぶ鉄道を初めて考え出し、国に鉄道を建設する申請書を提出したのは、四日市港を新しく開いた稲葉三右衛門という人物でした。四日市の廻船問屋の六代目を継いだ三右衛門は、私財を投じて四日市港を近代的な港湾に築き上げたことで知られています。

 その計画によれば、この鉄道は、三重県(伊勢の国)の四日市と、滋賀県(近江の国)の木ノ本を結ぶ「勢江鉄道」という名前が付けられていました。当時、官営鉄道が神戸から関ヶ原まで延伸され、北陸線の敦賀~長浜間も完成間近に迫っていました。そこで、三右衛門は、四日市港から関ヶ原を経由し、敦賀港までを結ぶ本州横断の大規模な鉄道路線の敷設を考えていました。このルートは本州の中央部にあたり、太平洋から日本海へ抜ける物資の流通ルートとして最短距離になり、開通すればその役割は計り知れないものになると予測していました。ところが、この計画は、当時の鉄道局長の「幹線や主要鉄道路線は国営によるべき」という考えから実現しませんでした。

 しかし、三右衛門の考えは継承され、後に三重県選出の政友会議員・天春文衛(四日市市中野町)の手によって、勢江鉄道建設に関する議案が帝国議会に提出され、これが可決されて政府への請願となりました。沿線住民も含めて関係当局へ陳情した結果、政府も勢江鉄道の必要性を認め、1921(大正10)年、国の許可が下りました。

 この勢江鉄道は、1923(大正12)年に着工が決まりましたが、同年9月に関東大震災が起きたため延期され、その後、財政難その他の事情から立ち消えになってしまいました。

 

JR関西本線四日市駅前の稲葉三右衛門像

員弁鉄道と藤原鉄道 → 三岐鉄道

 昭和時代に入ると、鈴鹿山脈の北端にある藤原岳がセメントの原料である石灰石で出来ていることに目を付けた会社がありました。現在、藤原町(現いなべ市)に工場を持つ小野田セメント(現太平洋セメント)と、浅野セメント(現太平洋セメント)というセメント会社でした。

 小野田セメントは、藤原町の東藤原に工場を建設し、そこで生産されるセメントを富田や四日市に運ぶため、「員弁鉄道」を計画しました。一方、浅野セメントは、藤原町の西藤原から石灰石を採掘し、それを新しく四日市に建設する工場や関ヶ原(岐阜県)に運ぶため、「藤原鉄道」を計画しました。

 このため、小野田セメント側の員弁鉄道と、浅野セメント側の藤原鉄道が免許取得のため競合することになり、窓口の三重県知事を悩ませました。当時の遠藤知事はこの問題を解決するため、四日市の実力者であった伊藤傳七を立会人として調停に乗り出し、1927(昭和2)年6月、両社の鉄道の敷設を一本化することで話をまとめました。伊藤傳七(11代)は、四日市商工会議所会頭の要職にあり、志摩電鉄、東洋紡績等20数社に及ぶ会社の社長・役員を兼ねていました。

 こうして、2つの会社の計画を一本化した上で免許申請を行いました。そして、当時、鉄道省の敷設予定線との調整・変更を実施した後、1928(昭和3)年6月9日、鉄道大臣から「藤原鉄道」の免許が下りました。なお「藤原鉄道」の名称については、会社設立の際、設立委員長に一任されました。設立委員長に選任された伊藤傳七(11代)は、会社名称を「三岐鉄道」とすることに決めた。こうして、藤原鉄道株式会社三岐鉄道株式会社と改称することとし、創立総会を迎えることとなりました。

 1928(昭和3)年9月20日、四日市市高砂町の伊藤傳七事務所で創立総会が開催され、三重県と岐阜県を結ぶ鉄道として「三岐鉄道株式会社」が設立されました。

 翌1929(昭和4)年9月21日、丹生川~東藤原間から建設工事が開始され、1931(昭和6)年6月23日に富田~東藤原間23.1㎞が完成、1ヵ月後の7月23日に営業運転が開始されました。

 開業日を7月23日としたのは、当時、伊藤傳七社長が志摩電気鉄道(現近畿日本鉄道志摩線)の社長を兼務していた関係から、同鉄道が1929(昭和4)年の7月23日、鳥羽~賢島真珠港間を開業した日に合わせたためとされています。

 また、東藤原~西藤原間の3.4㎞については、8月1日に工事開始、12月20日に完成、12月23日から営業運転が開始されました。

 

先週の北勢線とは、員弁川の右岸・左岸で全く経緯と時代が異なる2つの鉄道として誕生し、現在は共に三岐鉄道の路線として運行されています。

 

富田東藤原間開通記念繪端書(昭和六年七月)

ガソリンカー

多志田拱橋(右端高峰ハ藤原嶽)

三岐鉄道沿線略圖

三岐鐵道沿線案内(澤田文精社圖案部主任新美南果)

この当時はまだ、工事未着手区間として、西藤原~関ヶ原、保々~四日市・旭濱、浅野セメント川島工場線が記載されています。

 

続いて、三岐線の駅解説に進む前に、全駅を紹介してみます。

下図は1970~80年代の路線配線略図です。

三岐鐵道線列車時刻表(昭和六年十二月二十三日改正)

三岐鐵道線列車時刻表(昭和十五年二月二十五日改正)

1940年代半ばになると、第二次世界大戦が本格化し、燃料入手が困難となり、運行本数が減っています。

 

時刻表には掲載されてませんが、貨物列車も運行されていました。

 

その2へ続く

2月16日開催、三岐鉄道歴史電車北勢線編!

車内で解説を行いますが、時間的に説明しきれないので、画像と共に補足をさせて頂きます。

 

その8は、ご乗車頂いた車輌解説です。

 

北勢線では、現在7編成24輌が活躍しております。

 

今回ご乗車頂いた車輌は、連接台車でお馴染み200系を含む、

K77編成「クモハ277+サハ201+サハ101+クハ202」です。

 

200系 

旧形式 ク200形(202)・サ200形(201)・サ100形(101)

 御在所ロープウエイが開業した湯の山温泉への観光客輸送を目的に1959(昭和34)年8月、日本車輌製造で新造された三重交通三重線(現近畿日本鉄道内部・八王子・湯の山線)モ4400形で、4400(M1)-4401(T1)-4402(M2)の3輌4台車連接車でした。両先頭車の運転台側台車に垂直カルダン駆動の主電動機を搭載していました。電動台車がND106、連接台車がND106Aで、車輪径は640mm。
 1964(昭和39)年3月の三重電気鉄道湯の山線標準軌(1435㎜)化に伴って北勢線に転属しました。1965(昭和40)年4月に近畿日本鉄道となり200系モ201-サ101-モ202に改番されました。しかし、たった1編成しか無い垂直カルダン駆動の保守的難点から1971(昭和46)年に両先頭車は電装解除、運転台撤去でサ201-サ101-サ202となり他の電動車に牽かれていました。270系導入時にサ202に運転台が復活してク202となり270系モ275・276と4輌編成を組んでいました。そして、270系に準じた車体更新工事を受けています。 1978(昭和53)年8月にATS機器が設置され、1992(平成4)年9月にワンマン設備が取り付けられました。また、ブレーキ装置の変更で台車も改造されND106K・ND106AKとなりました。
 全車、形式変更されずに、三岐鉄道に引き継がれましたが、2008(平成20)年の高速化改造で、新形式クハ200形・サハ200・100形となりました。
 2006(平成18)年8月、編成交換されて270系モ277と組んでいます。
 

新形式 クハ200形(202)・サハ200形(201)・サハ100形(101)
 2008(平成20)年3月、K77編成の高速化改造により形式変更されてクハ200形202、サハ200形201、サハ100形101となりました。2013(平成25)年9月末には、北勢線開業100周年を記念して、製造当時の三重交通塗装に変更されています。

 

クハ202(2013.10.31)

サハ101(2013.10.31)

サハ201(2013.10.31)

連接台車(ND106AK)

連接台車部の通路渡り板

ク200形202の運転台

ク200形202車内。 台車部分の床板が7cm上がっているため、スロープ状になっている。

270系

旧形式 モ270形(271~276)・モ277形(277)・ク170形(171・172)
 1977(昭和52)年10月、北勢線の近代化を図るため廃車になる220形などの代わりに、モ270形271~276、ク170形171・172を近畿車輛で新造したもので、ナロー(762mm)線区車輌限界を最大限活かし全長が15.6m(220形は11.46m)となりました。1990(平成2)年には、モ277形277が増備されました。
 車体前面は切妻非貫通2枚窓で斬新なデザインとなりました。客扉は従来の片開きから1300mm幅の両開きとなりました。モ271のみ窓サッシ上部に雨よけが追加されています。モ271~276、ク171・172がロングシートに対してモ277は1人掛クロスシートになり、前面形状も若干更新されたため別形式のモ277形を名乗っています。
 電動車7輌、付随車2輌の新造だったため、不足の付随車は130形・140形・200形などの従来車の更新改造によって補っています。台車はKD219系のKD219(モ270形)・KD219A(ク170形)・KD219F(モ277形)で、車輪径は710mm。
 全車、形式変更されずに、三岐鉄道に引き継がれましたが、2005(平成17)年6月から高速化・冷房化改造が始まり、新形式クモハ270・170・273・277形となりました。

新形式 クモハ170形(171・172)・クモハ270形(271・272)

 K71編成が2005(平成17)年6月、K72編成が翌年7月、モ270形の運転台側動力台車KD219をク170形の中間側台車KD219Aと入替えモーターを2基とし、自重の分散を達成しました。よって形式もクモハ270形、クモハ170形と変更されました。そして、K72編成クモハ272・172が2006(平成18)年8月、K71編成クモハ271・171が同年12月に冷房化されました。CU46形(13000Kcal/h)冷房装置2基と空調制御箱を各車室内に設置したため、定員が若干少なくなっています。また、冷房装置部分の窓が埋められ、ステンレスルーバーが設けられています。

新形式 クモハ273形(273~76)・クモハ277形(277)

 クモハ273形も、もともと同じモ270形であったが、冷房化の可否で形式を分けることになりました。前述のクモハ270形・クモハ170形の場合は、動力台車と付随台車の入替えで自重分散が可能でしたが、クモハ273形の相方はクハ140形・130形のためスペース的に台車入替えが不可能で、残念ながら冷房化は行われませんでした。そのため、貫通路には扉が新設され完全に非冷房の区別をし、さらに「非冷房車」のステッカーを貼っています。
 高速化改造は、K75編成が2007(平成19)年7月、K73編成が同年12月、K74編成が2008(平成20)年7月に、K76編成が同年12月に完了しました。また、2008(平成20)年3月にK77編成も高速化改造により、クモハ277形277となりました。
 2014(平成26)年10月には、K77編成の200系に合わせて北勢線開業100周年を記念した三重交通塗装に変更されました。

 

クモハ277(2014.10.10)

クモハ277の運転台

クモハ277の1人掛クロスシート

 

 

 

続いて、200系の懐かし画像です!

 

北勢線に転属、近鉄合併直後の姿。 

三重交通時代の4400形から200系に改番されてますが、塗装は三重交通時代のグリーンとクリームのツートンのままでした。 (1965.5.9 西別所ー蓮花寺 撮影:藤本哲男)

1965年末には近鉄標準色である「マルーンレッド」に塗り替えられました。

現在までのところ、この塗装の時代が最も長い。 (1967.8.23 楚原 撮影:坂内定比古)

1971年には電装解除・付随車化され、パンタグラフやヘッドライトも撤去されました。

運転時はモニ220形牽引でしたが、昼間は阿下喜駅に留置されていることが多かった。 

(1974.12. 阿下喜 撮影:田中義人)

1977年には270系モ275と4輌編成化され、6年ぶりにサ202に運転台が復活、ク202となりました。 
(1977.11.12 北大社-大泉東 撮影:早川隆司)

1990年にモ277形が増備され、その際に全車輌に対し内部・八王子線と同じオレンジ色が追加されました。 (2002.8.11 北大社車庫)

2004年4月には200系も三岐鉄道標準色である「イエロー/オレンジ」に塗り替えられました。 (2004.4.11 北大社車両区)

写真をご提供頂いた皆さま、ありがとうございます。

 

以上で、北勢線の解説は終了です。

 

次週、2月23日の三岐鉄道歴史電車三岐線へと続きます。

こちらもお楽しみに!

2月16日開催、三岐鉄道歴史電車北勢線編!

車内で解説を行いますが、時間的に説明しきれないので、画像と共に補足をさせて頂きます。

 

その7は、紙物コレクションです。

 

まずは、北勢線の乗車券・入場券です。

残念ながら、北勢鉄道・三重交通・三重電気鉄道時代のものは、所蔵が無くて...

 

乗車券

鉄道省往復連絡乗車券 東京 ↔ 楚原 10圓40錢(昭和15年6月28日) C型硬券  

西桑名 ➡ 30円区間(昭和47年5月21日) 切取式軟券 

馬道 ➡ 70円区間(昭和52年1月26日) 切取式軟券 

北大社 ➡ 30円区間(昭和48年7月8日) 切取式軟券 

大泉 ➡ 80円区間(平成16年7月21日) うりぼう発行軟券 

阿下喜 ➡ 30円区間(昭和46年12月18日) 切取式軟券 

阿下喜 ➡ 230円区間(昭和49年7月12日) B型硬券 

乗車票

上笠田駅  (平成17年10月10日) 感熱紙 

入場券

西桑名駅  30円(昭和47年11月26日) B型硬券 

西桑名駅  60円(昭和51年8月27日) B型硬券 

馬道駅  120円(平成4年9月17日) B型硬券 

楚原駅  30円(昭和48年11月17日) B型硬券 

楚原駅  70円(昭和55年11月15日) B型硬券 

阿下喜駅  30円(昭和49年1月21日) B型硬券 

阿下喜駅  60円(昭和51年11月4日) B型硬券 

 

続いて、北勢線パンフレット・絵葉書です。

こちらはすべて北勢電気鉄道時代です。

 

パンフレット

藤原スキー場案内(北勢電鐵) 

  フヂハラスキー場へ(北勢電鐵)

フヂハラ・スキー場へ(北勢電鐵)

藤原スキー場へ(北勢電鐵)

当時、藤原岳のスキー場へは、三岐鉄道では無く北勢電鉄で向かうのが主体だったようです。

 

秋の行楽御案内(昭和九年九月 北勢電鉄)

ハイキングには若葉の時越へ(昭和十年五月 北勢電鐵)

秋のハイキングと松茸狩(昭和十二年九月 北勢電鐵)

初夏のハイキング(昭和十三年五月 北勢電鐵)

秋のハイキングコース(昭和15年9月 北勢電鐵)

絵葉書

夏の聖宝寺案内(北勢電鐵) 

銷夏の別天地(北勢電鐵)

これで、北勢線紙物紹介は終わりです。

 

続いて、ご乗車頂いた車輌の解説です。

 

その8へ続く

2月16日開催、三岐鉄道歴史電車北勢線編!

車内で解説を行いますが、時間的に説明しきれないので、画像と共に補足をさせて頂きます。

 

その6は、麻生田駅~阿下喜駅です。

 

まずは、古地図で、路線位置と駅名をご確認頂きたいと思います。

 

二万五千分一地形圖四日市近傍三號(共八面)名古屋六號桑名ノ三 (大正九年測圖)    

  (大正十三年十二月二十八日 大日本帝國陸地測量部發行 国土地理院提供)

   

二万五千分一地形圖名古屋六號桑名ノ三

  (大正九年測圖之縮圖昭和七年修正測圖同三十年資料修正(行政区画))

  (昭和三十年八月三十日 地理調査所發行 国土地理院提供)

 

麻生田駅  【西桑名起点距離18.1km】

 所在地:員弁郡山郷村(旧麻生田村) → 1955(昭和30)年4月1日 員弁郡北勢町

            → 2003(平成15)年12月1日 いなべ市北勢町麻生田

 1916(大正5)年8月6日:開業 

 2009(平成21)年1月:麻生田変電所廃止

 

現在の駅舎は、三岐鉄道移管後の2004(平成16)年3月1日に建てられました。

駅舎南側の空地が麻生田変電所跡地です。

現在は片面ホーム1線になっていますが、かつては離合駅で、現在も西側に旧ホーム跡が残っていますが、樹木が茂って見えにくくなっています。

2016(平成28)年7月31日の撮影では、まだホームが見えていました。

 

阿下喜東駅 → 六石駅  【西桑名起点距離19.0km】

 所在地:員弁郡山郷村(旧麻生田村) → 1955(昭和30)年4月1日 員弁郡北勢町

           → 2003(平成15)年12月1日 いなべ市北勢町麻生田

 1916(大正5)年8月6日:開業 

 1931(昭和6)年7月8日:改称 → 六石駅  (阿下喜駅延伸に伴い)

 2004(平成16)年4月1日:廃止

 

廃止直前の六石駅(2003.5.22)

駅廃止後、駅舎とホームは撤去されました。

晩年ホームは撤去されました(砂利が新しい部分)が、離合時代の反対側ホーム跡は残っています。

地図で解るように、当初は阿下喜東駅が終点で、ここから阿下喜の町までバス接続だったようです。

 

阿下喜駅  【西桑名起点距離20.4km】

 所在地:員弁郡阿下喜村 → 1929(昭和4)年3月10日 員弁郡阿下喜町

           → 1955(昭和30)年4月1日 員弁郡北勢町

           → 2003(平成15)年12月1日 いなべ市北勢町阿下喜

 1931(昭和6)年7月8日:開業 → 六石-阿下喜間延伸に伴い

 

阿下喜驛(阿下喜町)  阿下喜町繪葉書

戦前絵葉書ですが、阿下喜駅延伸と同時に北勢線全線電化されているため、電化時に日本車輌製造本店で6輌新造された北勢鉄道モハニ50形(後 モニ221形)が写っています。

阿下喜駅延伸時に建てられた駅舎(1992.8.14)

現在島式ホーム2線になっていますが、以前は片面ホーム1線と他に留置線・貨物線が敷かれていて、晩年は貨物線に保線車輌が留置されていました。(2003.3.15)

また、転車台が設置されていたのですが、完全に埋まった状態で残っていました。(2003.3.15)

こちらは2004(平成16)年に掘り出され、整備の上、駅南側に移設されて保存されています。

一方駅舎は、2006(平成18)年12月1日に新駅舎に建て替わり、旧駅舎は解体されました。

旧駅舎時代には売店が残っていたのが懐かしいですね!

2006(平成18)年12月1日から使用開始の新駅舎


現在、駅前には、北勢線電化時に新造された北勢鉄道モハニ50形、1944(昭和19)年の戦時統合で三重交通へ引き継がれモニ221形となり、晩年は近鉄内部・八王子線へ移って1982(昭和57)年まで活躍したモニ226が、修復のうえ静態保存されています。

ここまでが、員弁郡(現いなべ市)北勢町の駅です。

 

ここで、駅解説は終了して、その7では、北勢線紙物コレクションです。

 

その7へ続く