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南野クラフト建築設計室 きまぐれ日記2

南野クラフトのお仕事紹介!

南野クラフト建築設計室の建築模型作品などを紹介します。
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2月16日開催、三岐鉄道歴史電車北勢線編!

車内で解説を行いますが、時間的に説明しきれないので、画像と共に補足をさせて頂きます。

 

その7は、ご乗車頂いた車輌解説です。

 

三岐線では、現在8編成21輌が活躍しております。

 

751系

 クモハ751+モハ781+クハ1751

851系

 クモハ851+モハ881+クハ1881

801・851系

 クモハ801+モハ802+クハ1802(住友電装ラッピング)

 クモハ803+モハ804+クハ1804(西武赤電カラー)

 クモハ805+モハ806+クハ1852(西武カラー)

101系

 クモハ101+クモハ102(三岐旧塗装)

 クモハ103+クモハ104

 クモハ105+クモハ106

 

今回ご乗車頂いた車輌は、851系851編成「クモハ851+モハ881+クハ1881」です。

 

851系 

クモハ851形(851)・モハ881形(881)・クハ1851形(1851)・クハ1881形(1881)
 1995(平成7)年12月、廃車になる501系525Fの代わりに、西武鉄道701系を譲り受け851系851F(851+881+1851)として竣功しました。この車輌から、クモハとモハは別番号となり、全車末位が「1」となりました。
 西武鉄道時代は、1967(昭和42)年5月に789F(1789+789+790+1790)として竣功しました。当初は非冷房でクハの台車はTR11Aでしたが、後に新造台車FS072に交換されました。1982(昭和57)年3月には冷房化を行い、パンタグラフを2基とし、ブレーキのHSC化も行われました。また、1967(昭和42)年7月竣功の795F(1795+795+796+1796)の中間車795・796を701-89・701-90と改番して編入、6連化(1789+789+790+701-89+701-90+1790)されました。残った795Fの先頭車は電装され新501系505Fとなった。789Fは1995(平成7)年8月に廃車となりました。
 車体形状は、801系と全く同じです。この編成は西武鉄道701系の6連車のため、元からのモハ789・790は廃車にして、後から編入されたモハ701-89・701-90を残し、モハ701-89にクハ1789の運転台が取り付けられました。
 入線に際して、保々車両区でATS機器・ワンマン設備が取り付けられています。台車は三岐鉄道初の空気バネです。電動車はコイルバネのFS342でしたがFS372に交換され西武鉄道時代より乗り心地が向上しました。クハは元からのFS072。その他、西武鉄道での改造時期の違いから、クハのコンプレッサーが801系はAK-3を2基搭載しているのに対し、851系ではHB2000を1基搭載となりました。屋根上配管やランボードの形状、車内見付も801系とは若干異なっています。これらの理由から、801系とは別形式とされ851系が誕生しました。後に増備された801系805Fのクハも性能的には851系のためクハ1852とされています。801系同様に、全車に集中型冷房装置CU72B(42000kcal/h)とラインデリアを搭載しています。
 2012(平成24)年11月、クハ1851が事故廃車となりました。その後、2013(平成25)年9月、廃車となったクハ1851の代替車として、西武鉄道クハ1238を改造したクハ1881形1881が竣功しました。

751系クハ1751同様運転席うしろの座席を撤去し車いすスペースが設けられています。また、行先表示器はクモハ851ともLED式に交換されました。そのクハ1881の経緯は以下のとおりです。

 751系と一緒に回送された西武鉄道238+1238で、1979(昭和54)年12月に237F(1237+237+238+1238)として東急車輛製造で製作、同年7月に製造の291F(291+292)と編成組み替えを行って292+237+1237の3連化され伊豆箱根鉄道1300系2202Fとして譲渡、残った3輌のうちの2輌(291は近江鉄道へ部品取得用譲渡)です。保々車両区や富田駅・伊勢治田駅構内で留置されていていましたが、モハ238は2013(平成25)年3月に解体され、クハ1238は事故廃車となった851系クハ1851の代車クハ1881形1881へ改造されました。 

 

クモハ851(2020.5.12)

モハ881(2016.10.6)

クハ1881(2018.5.14)

クハ1851(2011.10.19)

空気バネ台車(FS372)

モハ881+クハ1881連結部は、貫通路幅が異なるため、幌アダプターが取れ付けられている

クモハ851の運転台

クハ1881の運転台

以上で、三岐線の解説は終了です。

2月23日開催、三岐鉄道歴史電車三岐線編!

車内で解説を行いますが、時間的に説明しきれないので、画像と共に補足をさせて頂きます。

 

その6は、紙物コレクションです。

 

まずは、乗車券類です。

 

乗車券

山城より保々ゆき 5錢(昭和11年3月1日) A型硬券

丹生川より梅戸井ゆき 13錢(昭和11年4月29日) A型硬券

梅戸井より富田ゆき 27錢(昭和15年11月9日) A型硬券

丹生川より富田ゆき 40圓(運賃変更)(昭和28年4月8日) B型硬券

保々より山城ゆき 5圓(昭和28年8月17日) B型硬券

西藤原から富田ゆき 90円(昭和34年8月16日) B型硬券

梅戸井から三里ゆき 15円(昭和34年12月30日) B型硬券

(関)富田から大井田ゆき 55円(昭和35年6月27日) B型硬券

西藤原から富田ゆき 90円(昭和37年5月13日) B型硬券

Ⓐ富田から三岐朝明ゆき 90円(昭和40年5月30日) B型硬券

山城から富田ゆき 30円(昭和40年7月9日) B型硬券

伊勢治田↔西原藤 30円(昭和41年11月13日) B型硬券 駅名誤植

梅戸井↔富田() 35円(昭和42年2月12日) B型硬券

西藤原↔富田 140円(昭和42年2月12日) B型硬券

Ⓐ富田↔大矢知 15円(昭和42年4月4日) B型硬券

暁学園前↔(近)富田 40円(昭和45年8月18日) B型硬券

連絡乗車券 梅戸井より津ゆき 9.6錢(昭和9年9月6日) A型硬券  

連絡乗車券 三里より彌富 60錢(昭和15年2月8日) D型硬券 

連絡乗車券 三里より東京市内ゆき 5圓35錢(改正6圓60錢)(昭和18年4月4日) A型硬券 

連絡乗車券 丹生川より名古屋ゆき 92錢(改正140錢)(昭和19年4月2日) A型硬券 

連絡乗車券 保々より名古屋ゆき 95錢(改正115錢)(昭和20年5月8日) B型硬券 

連絡乗車券 丹生川より神戸 3円15錢(運賃変更)(昭和20年11月1日) D型硬券 

連絡乗車券 大矢知より東京市内ゆき 6圓25錢(運賃変更)(昭和22年1月23日) B型硬券 

連絡乗車券 伊勢治田から四日市ゆき 80円(昭和34年11月24日) A型硬券 

連絡乗車券 大長から富洲原 280円(昭和54年3月21日) D型硬券 

往復連絡乗車券 西藤原から近鉄四日市 1080円(昭和58年5月3日) D型硬券 

三岐バス連絡乗車券 (宇)キャンプ村から富田ゆき 85円(昭和35年11月3日) 軟券 

車内乗車券 西野尻-富田 51錢(昭和7~17年3月8日) 軟券 

車内乗車券 大矢知-富田 50錢(昭和22年5月14日) 軟券 

車内乗車券 西藤原-伊勢治田 30円(昭和29~38年10月13日) 軟券 

車内乗車券 東藤原-西野尻 15円(昭和41~42年6月20日) 軟券 

車内乗車券 西野尻-富田 170円(昭和44年8月10日) 軟券 

入場券

梅戸井駅  5錢(昭和11年4月29日) A型硬券 

萱生駅  10円(~40年8月20日) B型硬券 

三里駅  10円(昭和38年8月16日) B型硬券 

西藤原駅  20円(昭和47年7月16日) B型硬券 

大長駅  10円(料金変更)(昭和50年6月12日) B型硬券 

(関)富田駅  70円(昭和53年6月3日) B型硬券 

続いて、パンフレット・絵葉書です。

 

パンフレット

 

藤原大スキー場御案内(三岐鉄道) 

藤原スキー場御案内(三岐鉄道) 

藤原大スキー場(三岐鐵道) 
聖峰園御案内(三岐鐵道)

宇賀渓ハイキング(三岐鐵道)

鈴鹿県立公園宇賀渓(昭和31年6月)(三岐鉄道・藤原觀光協会)

絵葉書

県立公園宇賀渓キャンプ場(三岐鉄道) 

これで、三岐鉄道紙物紹介は終わりです。

 

続いて、ご乗車頂いた車輌の解説です。

 

その7へ続く

2月23日開催、三岐鉄道歴史電車三岐線編!

車内で解説を行いますが、時間的に説明しきれないので、画像と共に補足をさせて頂きます。

 

その5は、丹生川駅~西藤原駅です。

 

まずは、古地図で、路線位置と駅名をご確認頂きたいと思います。

 

二万五千分一地形圖名古屋六號桑名ノ三

  (大正九年測圖之縮圖昭和七年修正測圖同三十年資料修正(行政区画))

  (昭和三十年八月三十日 地理調査所發行 国土地理院提供)

1:25,000地形図NI-53-8-10-1(名古屋10号-1)(昭和43年測量 平成18年更新)

  (平成19年2月1日 国土地理院発行)

 

丹生川駅 【富田起点距離19.6km】

 所在地:員弁郡丹生川村 → 1956(昭和31)年9月30日 石榑村と合併 → 石加村

               → 1963(昭和38)年4月1日 員弁郡大安町と合併

               → 2003(平成15)年12月1日 いなべ市大安町丹生川中

 1931(昭和6)年7月23日:開業

 

1930年代の丹生川駅(所蔵:貨物鉄道博物館)

開業時には大井田駅と同じく、駅北側の青川でも砂利採取を行うため、丹生川駅から青川河川敷まで砂利線が敷設されていました。

 

では、国土地理院の空中写真で、丹生川駅とその砂利線を確認してみます!

 

国土地理院 空中写真「USA-R3496A-15」(1950.2.6米軍撮影)

砂利線は、丹生川駅から右側へ90度に曲がり、青川河川敷へ進みます。

 

1990年代の丹生川駅(1997.7.19)

現在の丹生川駅

現在は島式ホームで上下2線になっていますが、1980年代までは北側に貨物側線と貨物ホームがありました。 その貨物側線と貨物ホーム跡を再活用し、2003(平成15)年9月15日に貨物鉄道博物館が開館しました。(所蔵:三岐鉄道)

貨物鉄道博物館では、展示線を再敷設、貨物ホーム倉庫は展示本館として再活用しています。

青川砂利線跡  貨物鉄道博物館展示線先、画像中央右カーブが砂利線跡(2008.4.6) 

駅舎東側には、1954(昭和29)年3月の電化時に設置された丹生川変電所があります。

ここまでが、旧員弁郡大安町(現いなべ市)の駅です。
 

伊勢治田駅 【富田起点距離20.8km】

 所在地:員弁郡治田村(旧東村) → 1955(昭和30)年8月1日 北勢町に編入

                → 2003(平成15)年12月1日 いなべ市北勢町東村

 1931(昭和6)年7月23日:開業

 
1980年代の伊勢治田駅(所蔵:三岐鉄道)
現在の伊勢治田駅
島式ホームで上下2線の他、東側に貨物線と複数の留置線が設けられています。(2012.6.22)
かつては、一番東側に貨物ホームがありました。(1978.3.29 撮影:榊原育夫)
伊勢治田駅は三岐線唯一の員弁郡北勢町(現いなべ市)の駅です。
 
ここから先、多志田川を越えて、員弁郡藤原町へと進みますが、この多志田谷を越えるのが難工事で、あまり注目されていませんが三岐線にも大きな「めがね橋」?の「多志田拱橋」があります。
その1で紹介した「開通記念繪端書」にも登場しています。
 

多志田拱橋

ご覧のとおり、この2本のトンネルは巨大で、なんとも電車が走れそうな径があります。
 

東藤原駅 【富田起点距離23.1km】

 所在地:員弁郡東藤原村(旧東禅寺村) → 1955(昭和30)年4月3日 員弁郡藤原村

              → 1967(昭和42)年4月1日 町制施行 → 員弁郡藤原町

              → 2003(平成15)年12月1日 いなべ市藤原町東禅寺

 1931(昭和6)年7月23日:開業

 
1980年代の東藤原駅(所蔵:三岐鉄道)
2017(平成29)年11月に建て変わった現在の東藤原駅
島式ホームの上下2線で、西側には貨物側線が拡がります。
かつては、一番西側に貨物ホームがありました。(2002.6.28)
では、続いて小野田セメント(現太平洋セメント)藤原工場を見てみます。
画像正面が在来工場、左側が1970年新設のF5工場
三岐線西野尻方面は太平洋セメント藤原工場内を抜けているため、車窓から積込線が見えます。
ここまでが、1931(昭和6)年7月23日に開業した区間です。
 
ここで、少し太平洋セメント藤原工場にも触れておきます。
三岐鉄道三岐線開業の翌年1937(昭和7)年12月1日に第1号回転窯の火入れが行われ、1938(昭和8)年1月2日からセメント輸送が開始されています。
 
小野田セメント製造株式會社藤原工場絵葉書
工場鳥瞰
石灰山ヨリ工場遠望
廻轉窯其一
廻轉窯其二
石灰石貯藏室
石炭貨車卸場
原料山ノ一部
太平洋セメント藤原工場の詳細は、また貨物鉄道博物館で解説させて頂きます。
 

西野尻駅 【富田起点距離25.3km】

 所在地:員弁郡東藤原村(旧西野尻村) → 1955(昭和30)年4月3日 員弁郡藤原村

             → 1967(昭和42)年4月1日 町制施行 → 員弁郡藤原町

             → 2003(平成15)年12月1日 いなべ市藤原町西野尻

 1931(昭和6)年12月23日:開業

 
1980年代の西野尻駅(所蔵:三岐鉄道)
現在の西野尻駅
三岐線唯一の無人駅で、無札証明(乗車駅証明)を取って乗車します。

 

西藤原駅 【富田起点距離26.5km】

 所在地:員弁郡西藤原村(旧大貝戸村) → 1955(昭和30)年4月3日 員弁郡藤原村

             → 1967(昭和42)年4月1日 町制施行 → 員弁郡藤原町

             → 2003(平成15)年12月1日 いなべ市藤原町大貝戸

 1931(昭和6)年12月23日:開業

 
1960年代の西藤原駅(所蔵:三岐鉄道)
建て変え前の西藤原駅(1999.7.11)
駅前には貨物取扱所が残っていました。
現在の西藤原駅
現在は島式ホームで上下2線、内西側のみ使用で東側は展示線になっています。
かつては北側に貨物ホームがありましたが、現在はウィステリア鉄道公園になっています。
 
では、三岐線の終端部を見てみます。
続いて、1960年代まで行われていた、四日市砕石西藤原鉱山の引込線です。
西藤原1号踏切南東側が廃線跡です。
では、国土地理院の空中写真で、その砕石線を確認してみます!

 

国土地理院 空中写真「USA-R1853-24」(1948.10.7米軍撮影)

ここまでが、員弁郡藤原町(現いなべ市)の駅です。

 

ここで、駅解説は終了して、その6では、三岐線紙物コレクションです。

 

その6へ続く

2月23日開催、三岐鉄道歴史電車三岐線編!

車内で解説を行いますが、時間的に説明しきれないので、画像と共に補足をさせて頂きます。

 

その4は、大長駅~三里駅です。

 

まずは、古地図で、路線位置と駅名をご確認頂きたいと思います。

 

二万五千分一地形圖四日市近傍七號(共八面)名古屋六號桑名ノ四

  (大正九年測圖昭和七年修正測圖) 

  (昭和十年七月三十日 大日本帝國陸地測量部發行 国土地理院提供)

  二万五千分一地形圖名古屋六號桑名ノ三

  (大正九年測圖之縮圖昭和七年修正測圖同三十年資料修正(行政区画))

  (昭和三十年八月三十日 地理調査所發行 国土地理院提供)

 

大長駅 → 北勢中央公園口駅 【富田起点距離11.2km(大長駅:11.3km)】

 所在地:三重郡市場村  → 1957(昭和32)年4月15日 四日市市編入、四日市市市場

                      大長駅の由来は、市場村隣の員弁郡大長村

 1931(昭和6)年7月23日:開業

 1997(平成9)年4月1日:移転・改称 

                 → 両端踏切によりホーム延伸不可のため0.1km富田側へ  

 

1980年代の大長駅(所蔵:三岐鉄道)

移転直前の大長駅(1996.7.13)

保々11号踏切北東側が大長駅跡です。

大長1号踏切側から見てみます。 踏切南東側が大長駅跡です。

保々11号踏切南東側に北勢中央公園口駅が見えています。

北勢中央公園口駅

1997(平成9)年4月に開始された、列車内(先頭車輌)へ自転車を無料で持ち込める「サイクルパス」制度にちなみ、北勢中央公園口駅屋根には自転車モニュメントが設置されています。

ここまでが、旧三重郡(現四日市市)の駅です。

 

梅戸井駅 【富田起点距離13.1km】

 所在地:員弁郡梅戸井村 → 1954(昭和29)年10月28日 町制施行、員弁郡梅戸井町

         → 1959(昭和34)年4月20日 員弁郡三里村と合併 → 員弁郡大安町

         → 2003(平成15)年12月1日 いなべ市大安町梅戸 

 1931(昭和6)年7月23日:開業

 

開業直後の梅戸井駅(1931.7.25 所蔵:日比義也)

1980年代の梅戸井駅(所蔵:三岐鉄道)

現在の梅戸井駅

現在は島式ホームで上下2線になっていますが、かつては現在の道路側に貨物側線がありました。

 

大井田駅 → 大安駅 【富田起点距離15.3km】

 所在地:員弁郡梅戸井村(旧大井田村) 

         → 1954(昭和29)年10月28日 町制施行、員弁郡梅戸井町

         → 1959(昭和34)年4月20日 員弁郡三里村と合併 → 員弁郡大安町

         → 2003(平成15)年12月1日 いなべ市大安町大井田 

 1931(昭和6)年7月23日:開業

 1986(昭和61)年3月25日:改称 → 大安駅

 

1940年代の大井田駅(所蔵:三岐鉄道)

開業に向けて、大井田駅北側に流れる宇賀川の砂利を道床用に採取しトロッコで運搬していましたが、上の画像では、貨車手前の右分岐が砂利線です。

 

では、国土地理院の空中写真で、その砂利線を確認してみます!

 

国土地理院 空中写真「USA-R3264-26」(1949.10.21米軍撮影)

砂利線は、大井田駅から右側へ90度に曲がり、宇賀川河川敷を進みます。

宇賀川と員弁川合流部分に、複数のトロッコが確認出来ます。

 

河川砂地にトロッコ軌道がありました。(所蔵:三岐鉄道)

トロッコは蒸気機関車で牽引し、宇賀川河川敷の砂利線まで運ばれます。(所蔵:日比義也氏)

河川敷では、トロッコから三岐線貨車へ積み替えられます。(所蔵:日比義也氏)

1986(昭和61)年に、駅舎は線路東側から西側へ移転し、大安駅へ改称されました。

大安駅は、大安町中央図書館(現いなべ市大安図書館)が併設されています。

 

大安駅(1986.3.25)

線路東側の道路が、大井田駅跡です。

では、砂利線跡を見てみます。 線路東側道路が砂利線跡になります。

大井田2号踏切あたりで、道路は東側へカーブしますが、こちらが砂利線跡です。

砂利線跡の道路は、このまま員弁川堤防の国道365号まで続きます。

 

三里駅 → 宇賀渓口駅 → 三里駅 【富田起点距離17.1km】

 所在地:員弁郡三里村(旧平塚村) 

       → 1959(昭和34)年4月20日 員弁郡梅戸井町と合併 → 員弁郡大安町

       → 2003(平成15)年12月1日 いなべ市大安町平塚

 1931(昭和6)年7月23日:開業

 1968(昭和43)年6月1日:改称 → 宇賀渓口駅 (三岐バス石榑線発着に伴い) 

 1986(昭和61)年3月25日:改称 → 三里駅 (三岐バス石榑線が大安駅発着に伴い)

 

1980年代の宇賀渓口駅(所蔵:三岐鉄道)

建て変え前の駅舎(1996.7.22)

現在の駅舎は、2004年3月に建て変えられました。

 

その5へ続く

 

2月23日開催、三岐鉄道歴史電車三岐線編!

車内で解説を行いますが、時間的に説明しきれないので、画像と共に補足をさせて頂きます。

 

その3は、平津駅~保々駅です。

 

まずは、古地図で、路線位置と駅名をご確認頂きたいと思います。

 

二万五千分一地形圖四日市近傍七號(共八面)名古屋六號桑名ノ四

  (大正九年測圖昭和七年修正測圖) 

  (昭和十年七月三十日 大日本帝國陸地測量部發行 国土地理院提供)

 

平津駅 【富田起点距離4.1km】

 所在地:三重郡八郷村(旧平津村) 

          → 1954(昭和29)年7月1日 四日市市編入、四日市市平津町

  ※ 三重郡八郷村(朝明郡平津村・広永村・山村・伊坂村・千代田村・中村・萱生村・広永新田)

 1931(昭和6)年7月23日:開業

 

現在の平津駅

現在は島式ホームで上下2線になっていますが、かつてはホーム南側に貨物側線がありました。

電鐘警報器でお馴染み、大矢知5号踏切西側の水路には、貨物側線の橋台が残っています。

続いて、平津1号踏切から見てみます。

八風道から平津駅への進入路には、旧三岐バス停留所標識が再利用された案内板があります。

 

萱生駅 → 暁学園前駅 【富田起点距離5.3km】

 所在地:三重郡八郷村(旧萱生村) 

             → 1954(昭和29)年7月1日 四日市市編入、四日市市中村町

 1931(昭和6)年7月23日:開業

 1965(昭和40)年8月21日:改称 → 暁学園前駅  (暁学園移転に伴い)

 

1980年代の暁学園前駅(所蔵:三岐鉄道)

現在の駅舎は、四日市大学開学に伴い建て変えられました。(1988.3.30)

駅舎東側には、1954(昭和29)年3月の電化時に設置された萱生変電所があります。

 

山城駅 【富田起点距離7.0km】

 所在地:三重郡下野村(旧山城村) 

              → 1954(昭和29)年7月1日 四日市市編入、四日市市山城町

 1931(昭和6)年7月23日:開業

 

建て変え前の駅舎(2011.3.20)

旧駅舎は放火により消失し、2015(平成27)年4月に現在の駅舎に建て変わりました。

現在は島式ホームで上下2線になっていますが、かつては現在の自転車置場部分に貨物側線がありました。

 

保々駅 【富田起点距離9.5km】

 所在地:三重郡保々村(旧小牧村) 

           → 1957(昭和32)年4月15日 四日市市編入、四日市市小牧町

 1931(昭和6)年7月23日:開業

 1958(昭和33)年11月2日:車両区、富田駅より移転

 

現在の保々駅

運転区・車両区・施設区と三岐線の中枢になっています。

 

運転区 CTCセンターは、1974(昭和49)年4月に運用開始されました。

車両区 

車輌工場の保々移転時に設置された50 トン20m用トラバーサーがあります。

1958(昭和33)年11月の日本輸送機製で5線移動します。

富田機関区から移築された木造の塗装場。

1980(昭和55)年3月に建設された検車場で、電車は編成のまま効率よく短時間に検査できます。

1974(昭和49)年7月に設置された電車洗浄装置です。

施設区

保々車両区の洗車場がある部分が、まさに四日市方面の路線跡となります。

施設区東端、山城10号踏切南東側に残る空地が、保々駅から分岐して四日市方面へ向かう路線の築堤跡です。

四日市方面路線の土工工事は、保々~県間3.3kmが1930(昭和5)年10月25日に完成していました。(保々は現在の保々駅では無く、保々村の工事起点) この区間は、残念ながら線路敷設されることはありませんでしたが、ほ場整備が行われる昭和40年代までは、築堤も残っていました。

 

では、国土地理院の空中写真で、四日市方面の路線跡を確認してみます!

最初に掲載の地形図でも、築堤が解ると思います。

 

国土地理院 空中写真「USA-R1253-50」(1948.4.6米軍撮影)

国土地理院 空中写真「MKK6312X-C1」(1963.11.4国土地理院撮影)

国土地理院 空中写真「MKK716X-C5」(1971.4.25国土地理院撮影)

国土地理院 空中写真「CCB7528-C43」(1975.11.1国土地理院撮影)

残念ながら、小牧町築堤カーブはほ場整備で無くなりましたが、現在も一部が道路として残っているので、こちらを辿ってみました。(2016.6.6)

 

画像中央の草が生えた土手が路線跡、右カーブが三岐線です。
そして、ほ場整備によりここから先の築堤は無くなり、四日市市小牧水源地が出来ています。

画像中央、まきの木台へ上がる坂道が、四日市方面の路線跡です。
この坂道からすると、築堤はかなり高くなっていたと思われます。

まきの木台をまっすぐ緩やかな上り坂道で進んでいます。

八風道と直行する交差点に出ます。

八風道を超えて、もう少し進みます。

上海老町の国道365号旧道で路線跡は終点です。

ここで振り返ってみてみると、左側に「水道用地」の杭が立っています。
どうやら、路線跡は小牧水源地の配水管が通っているようですね。

路線跡を旧八風道交差点から見下ろすと、正面に新名神高速道路の朝明川アーチ橋が見えます!

この四日市方面の路線が実現していたら、もっと三岐鉄道の輸送形態も変わっていたかもしれないですね!

 

その4へ続く