続・『海はなかった』― フォーク調課題曲に込められた意味と高校生へのメッセージは❓
昭和50年・61年度高等学校の部課題曲
海はなかった
作詞:岩間芳樹、作曲:広瀬量平
昭和49年のNコン改革では「ともしびを高くかかげて」というギター伴奏もOKという斬新な課題曲が生まれました。
その翌年昭和50年には、「海はなかった」という「フォーク+合唱」の新しいタイプの合唱曲も生まれました。
「ともしびを高くかかげて」同様、「海はなかった」もギター使用OKです(ギターの参加は4名まで)。
「海はなかった」が生まれた過程を、作詞の岩間さんと作曲の広瀬さんの初演時の楽曲解説から探ろうと思います。
▲ 昭和61年度高等学校の部・安積女子高校(金賞)
POINT合唱曲「海はなかった」の意味・解釈は❓
津軽半島への旅で
半島のさびれた漁村へたどり着く。
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老人たちがイカ漁で細々と生活。
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そこに17歳になる若者がいた。
➡ 中学を出て東京へ出て絶望し、Uターンで村へ帰って来た。
➡ 慣れない手つきでのイカ漁。獲物は若者を充分育てる程獲れない。
さびれた漁村で出会った若者
岩間さんがこう尋ねた。
海の村へ帰って良かったろう❓
すると若者は…
海なんかねえよ……
➡ とても印象的で、彼の置かれた現状や、心の内をすべて物語る言葉だった。
詩のイメージと想定シーン
主人公
海らしさを失った海と向かい合ったヒトやトリ(互いに交錯するダブルイメージ)
➡ 汚れた海を目の前にしては、生きものとしての充足がない。
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「海」は単に「海」だけでないのかも❓
➡ 我々の「時代」そのものと考えてよいかも。
想定シーン
海を目の前にした若者が落ちていた鳥の羽根を手に、自分の心の旅のありようを考えている。
POINT作曲・広瀬量平さんによる解説
岩間さんの詩にはテーマがあり、本当の人間的なものに由来する真実の感情がある。
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単に「歌おう」「楽しく」「ラララン」等と、空々しく連ねて形を整えたものではない。
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ドキュメンタリー映画のように連ねられた詩、それは誠実に人生を考えて生きようとする若者たちの塑像ではあるまいか❓
➡「鳥」とは何か❓「夏」とは何か❓
それぞれの気持ちを話し合うのも良い(「夏とは高度成長時代のこと❓」等)。
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曲の解釈は一つではない。
➡ あえて何通りもの解釈が成り立つよう作曲した。
➡ 感傷的、ドラマティック、古典的…演奏者が自分たちにふさわしいやり方で。
歌い継がれる課題曲
作詞の岩間さんは、歌い継がれること、高校生に共感を持って欲しいという気持ちから、詩を書くのにかなり悩まれたようですが、そこで思い当たったのが“さびれた漁村の若者”だったようです。
そこから、海らしさを失った海と向かい合ったヒトやトリの交錯するイメージに、現代の姿を映したようです。
作曲の広瀬さんは前年の課題曲(「ともしびを高くかかげて」)を遠まわしに批判されていますが、「ともしびを高くかかげて」も「海はなかった」も現在でも歌い継がれているのは興味深いです。
まるで若者の陰と陽の側面を見ているようです。
こういった深く考えさせてくれる課題曲は、学生時代だからこそたくさん出会って欲しいです。
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