【Nコン2009】NHK全国学校音楽コンクール参加規程って知ってますか?その3
審査
(1)審査基準
・歌詞の内容をどのように伝えているか、感動をよびおこす演奏であるかを評価します。
・演奏技術については、発声、音程、アンサンブルなど、様々な演奏技術の特定要素だけを取り上げることなく、総合的に評価します。
・演奏態度や表現意欲、協調性はもちろん、工夫や意欲的な試み、独創性や創造性も積極的に評価します。
・課題曲と自由曲の評価の比率は1:1です。
・自由曲については選曲面も考慮して評価します。
※選曲の評価とは、「その曲を歌う児童・生徒の歌唱能力に見合った曲であったか」「歌詞の表現内容を、児童・生徒が十分に理解し表現できているか」ということなども含め、審査員が判断します。つまり、はじめから好ましくない曲があるのではなく、あくまで実際の演奏を踏まえ、審査員が評価をする際の指針としてこの規定を設けています。
・伴奏は審査の対象外とします。
技術だけではダメっていうのが示されていますね。
昨年の高等学校の部では「技巧にとらわれすぎている」と評した審査員もいるようです。
私も「歌詞の内容をどのように伝えているか、感動をよびおこす演奏であるかを評価します」というのを一番注目しています。
あと、発声も気になりますね。
感情を込めすぎて歌詞が聴き取りにくくなっている学校もあったので、残念に思ったことがありました。
あと、伴奏は審査の対象外というのはよくご存知だと思います。
(2)審査方式
各審査員が全出場校の順位をつけ、その結果をもとに、原則として過半数方式で最終的な順位を決定します。(都府県地区コンクールにおいては、参加校数などによって違う方式を採用する場合があります。)
※歌唱人数・自由曲演奏時間・ステージ配置など、参加規定から外れた場合は、審査の対象外となりますのでご注意下さい。
過半数方式というのは「新増沢方式」という方法がとられているようです。
・各審査員は、参加団体に対して「点数」ではなく「順位付け」のみを行う。
・順位付けは、特定の要素に着目するのではなく、参加団体の演奏全体を総体的に判断して行う。
・総合順位は、各審査員の順位の上下関係に基づく多数決を(擬似的に)繰り返し、各位ごとに順に決定していく。その際、順位差の開きは重要視されない。
(Wikipediaより抜粋)
ということで、11校参加、7人の審査員で、ある学校が1位 1位 1位 1位 11位 11位 11位でも1位です。
あるいは、1位 1位 1位 2位 2位 2位 2位であれば、2位というような方式です。
間違ってたらすみません。
実はもっと細かな場合分けが必要なのですが、それは「新増沢方式」で検索を。
とあるHPでは実際の合唱コンクールでの審査結果を例に説明されています。
表彰
(1)都府県地区コンクール
金賞、銀賞、銅賞を入賞とし、その他の学校には奨励賞を贈ります。金賞受賞校には、都府県地区コンクール代表としてブロックコンクールに出場していただきます。地域によって異なる場合がありますので、詳しくは各都府県地区コンクールの参加案内などでご確認ください。
(2)ブロックコンクール
金賞、銀賞、銅賞を入賞とし、その他の学校には奨励賞を贈ります。金賞受賞校には、ブロックコンクール代表として全国コンクールに出場していただきます。
(3)全国コンクール
金賞1校、銀賞1校、銅賞2校を入賞とし、その他の学校には優良賞を贈ります。
金賞校には、NHK会長賞、内閣総理大臣賞、文部科学大臣奨励賞を贈ります。
歴史から。
昭和14年
1~3位校の公表
これまで第1位のみを優勝校として表彰してきたが、2~3位までの順位を公表することとなった。
昭和41年
表彰方式の変更
第1位から第3位までの順位を、それぞれ最優秀校、優秀校(2)と呼ぶこととし、これに続くものを優良校(1~2校)として、それぞれ表彰することになった。
昭和43年
表彰方法の変更
優秀校、優良校の複数表彰を改め、第1位~第3位をそれぞれ最優秀校、優秀校、優良校として表彰することとなった。
昭和60年
全国コンクール表彰方式の変更
第1位~第3位をそれぞれ最優秀校、優秀校、優良校として表彰するのを改め、金賞1校、銀賞2校、銅賞6校とし、全国コンクールは全て入賞となる。
平成6年
表彰方式の変更
ブロックコンクール、全国コンクールの入賞校を、金賞1、銀賞1、銅賞2とし、その他の学校には出場記念賞(奨励賞)を贈る。
平成18年
全国コンクールへの出場校数を各部門11校に増加、前年度銀賞校にも出場シード枠を与える。
という歴史があります。
私は複数校の金賞・銀賞がなじみが深かったのですが、現在の方式の方がコンクールとしてはいいと思います。
全国コンクールに出れば銅賞以上は必ずもらえるというのはさすがに違和感がありました。
ちなみにその時代、昭和63年度の高等学校の部や平成元年度の小学校の部では金賞が2校だったり、銀賞が3校選ばれたときもありました。