彼の音色に感動を受けた人達の目に涙があふれていた。
彼が12歳の時に番組に紹介された時、たまたま見ていた。
人間の持つ 底時からを感じた。
たった20年、されど20年。
彼の20年には重みがあり、音に現れている。
1991年、湾岸戦争が勃発した時期にロンドンにいた。
その語学学校には、多くの日本人がいた。
その中でも3ヶ月程前から通学をしている
子の姿が・・他の日本人とも会話をする事もなく、淡々と上のクラスで頑張っていた
どことなく影のある
子。。仲良くなったドイツ人のベラと友達だった事もあり
話す事になった。。当時の私はというと
英語で会話が3分 持つかぁ~~
のレベル。
子が相手にしてくれるはずがないと・・・帰り道が何度も一緒になり、通りには日本人2名・・・
なるべく挨拶と別れは英語でするようになった。
その学校では留学生の為に、近所のホテルの1つのホールの
パブと広間をディスコ・ナイトにしてくれた。
バブには何度も行ったが、ディスコと呼ばれるたぐいは大の苦手な私。
今日は静かな夜・・隣の部屋からピアノの音色が...
子がピアノをひいていた。私のホーム・スティ先にはピアノがあり、娘のエマが習っていた。
パパもピアノをひく人で、午後のお茶や夕飯の後にピアノを
ひいてくれた。
勇気を持って
子に声をかけると、スティ先に遊びに来てくれるようになり私がいなくっても来る様になっていた。
彼女の目的はピアノだった..
彼女がロンドンに来た理由は ピアニストの試験に落ちてしまった事が原因で
日本を離れたくなったとの事だった。
音大の恩師には大丈夫といわれていた矢先の事。
小さな頃からピアノ一筋で生きてきた彼女には
人生の終わりをしめしていた。
彼女の両親が外に出れなくなってしまった娘の為にロンドン留学を手配したとか..
スティ先のママはとても鋭い女性である
ある晩 私に「
子のピアノは素晴らしいが、それだけ」と言った。数十年後のクリスマス。私はその家のピアノの部屋にいた
昔の話になり
子のピアノ会の思い出ばなしになった当時、聞く事のできなかった事をきいてみた
「どうして、彼女のピアノは素晴らしいがそれだけ?と言ったの?」に対し、
スティ先のママは
「彼女は上手にピアノを引けるけど、人からの評価を求めてばかりで
他人を喜ばせる気持ちが音に出ていない。彼女自身も楽しんでいなかった。
彼女の奏でる音には喜びがなく、楽譜通りに指を動かしているだけだった・・」と
どうしてそんなに詳しく覚えているのか不思議に・・・
子はその家に卒業をした後も行っておりそこの家の両親が相談役になった事も・・・
スティ先のママは同じ事を本人に伝えた事を話してくれた。
辻井君の話を聞いた8年前、私の脳裏に彼女の名前が走った..
そして今回も...
人を感動させる為には、自分自身も楽しまなくてはならない
人を喜ばしたいと思う、純粋な気持ちも大切だと痛感。
彼だけでなく、生きている人達が心得ていなくては
ならない問題でもあるのかもね。
彼の活躍 心から願い、多くの国で感動を与えてほしいと願っている
