今日は諫早へ行く用事がありました。用事が済んだ後、久々の町歩き。今日は諫早が舞台です。

旧 長崎街道。貝津工業団地をスタートします。
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少し歩くと茶屋橋という橋があります。
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このあたりにお茶屋さんがあったのでしょう。旧街道を歩いていると、こういう茶屋に関係する遺構や石碑を多く見る事ができますね。

この街道は江戸時代、重要な脇街道でした。参勤交代などで殿様が通り、初めて日本に上陸した象やラクダなども通った道です。今では家々が建ち並ぶ住宅街
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このあたりに住む人はそういう歴史を知ってるのかな?

いっとき歩くと、「お馬の水」という祠に着きます。
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その名の通り、人を乗せて歩く馬や、籠持ちの人達が水分補給をしていた場所です。今でも水が湧いていますが、残念ながら飲めません。
街道沿いにはこのような標識も多く見ますね。
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小倉方面へ行きます。

「さやんごぜん」という道祖神です。
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疫病や災いから守って頂くように信仰していたそうです。

そして本日のゴール、「小船越 追分」です。
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左に行くと長崎街道、右に行くと島原街道です。昔はこのあたりに「獄門場」というのがあったらしいです。罪人をはりつけにする所だったようです。

これからも、事あるたびに長崎街道シリーズをアップしていきます。



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最近何かと忙しくて町歩きが出来ません~_~;
全く更新しないのも面白くないので、とある橋の名前の由来を紹介します。

中島川に掛かっている「賑橋」という橋。江戸時代には第十三橋と呼ばれてました。今は新しく鉄筋コンクリートの橋ですが、最初は木製の橋、水害で流失して石橋に架け替えられました。

当時、この橋を挟んで左岸側に「榎津町」、右岸側に「材木町」という町がありました。明治時代になって橋に名前を付ける際、榎津町には「き」という文字が入ってます。材木町にも「き」という文字が入ってます。

ここから語呂合わせです。

二つの「き」が合うんです。

二「き」が合うんです。

「にき」合うんです。

「にぎ」わう?

にぎわい?

そして、賑橋になりました。

嘘のような本当の話です。この賑橋にちなんで、昭和の町界町名変更で材木町界隈を賑町としました。



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第2弾です。
古橋から少し歩くと、着いたのは蛍茶屋跡。
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長崎を発つ旅人と最後の盃を交わした料亭と、すぐ近くにある一ノ瀬橋です。当時蛍の名所だった事から、この名前が着きました。
蛍茶屋を後にして、一気に寺町の興福寺へ。
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この門はいつ見ても壮大…。
またまた一気に諏訪神社へ。
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長崎の氏神さまである諏訪神社。長崎市民は「お諏訪さん」と言って親しんでます。写真は諏訪神社の拝殿と、長坂から見た市街地です。この長坂、長崎くんちの奉納踊りの舞台です。
その後、松の森神社へ。
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諏訪、伊勢宮と共に長崎三社に数えられます。今日は二社参り。次は三社参りをしましょう。
今日もよく歩いた!次こそ館内町に行きます!

参考資料
原田博二 著
長崎 南蛮文化のまちを歩こう
岩波ジュニア新書



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