医療鞘のためのコミュニケーション講座 主催の吉良信史です。



医療者の多くが、本当に患者さんのために、いろいろ心を砕いているなぁと感じています。

それは本当に、尊敬しています。


もちろん診療科目によって、直接生死の場面を扱っているものもあれば、そうでないものも。
普段診療している状態によって、患者さんへの対応も違ってくるというのも、あり得るでしょう。



患者さんが待合室からあふれていて、本当に次から次へと接していかないと見切れないところや、
一人ひとりに十分時間をとることができるところも。



でも、どちらにしても、その瞬間、
患者さんと向き合った時の、相手の思いやる心や何とかしたいという気持ち。

それ自身がコミュニケーションの核となっている場合が多いと感じています。




だから、医療者の方々は、元々そのセンスを生かしている方が多い。
意識して、患者さんのためにどうすればいいかと、医院全体でコミュニケーションやマナーの講座に出られたりしているところもありますよね。

逆に、組織としてはそこまで統一されていなくても、個人が一つの医療者のあり方として患者さんと接するときに、無意識に(もしくは意識して)センスをつかんでいることがある。




そういう方々は、患者さんや職場の仲間からも慕われていたり、信頼されていたり。

でも、残念ながら、なかなかそのセンスを磨けられないでいる方もいます。




私自身はきら歯科クリニックの院長として、スタッフの教育にも力を入れています。


だからこそ、以前から、コミュニケーションの力の差は何かなと、いろいろ考えていたのです。




患者さんに慕われる。
何でも相談する。
診療以外の時間でも、場合によっては個人の付き合いとして人間関係が生まれている。

逆に、なかなか打ち解けられないとか。
患者さんから支持されないとか。

実際にそういう差があるのは確かなのです。




以前は、これは、やり方を知らないからできないと思っていました。

だから、いろいろなやり方を教えていったのです。





すると・・・



コミュニケーションがとれるスタッフは、もっとそのやり方を使いこなして、よりいい関係を創り出す。
でも、そうでない場合には、逆にやり方だけに意識してしまうことで、あいてがみえない状態になってしまう。


余計に差が開くという結果に…


だから、いろいろ悩んでいた時期がありました。




どうすれば、ある程度のラインで、コミュニケーションがとれるように教育できるのか。
最低限の底上げをしようとしたときに、どうすればいいのか…




今では、その答えがあるというのもわかりますし、実際にきら歯科でも応用してきた。


その時に見るべき観点が、コミュニケーションの質。
このブログでもいろいろ書かれていますが、例えば、聴くというのもその一つ。

やり方で、うなずくとか目を見るとか、いろいろあるけれど。
それを知らなくても、『聴く』質が磨かれてくると、それをしなくても良い状態になったり、自然と意識しないでもそういうやり方をしていたりする。



これらのことに触れるための一つの方法が、講座ということになります。