前回のブログ



多くの方に探究していただいて。

返信にも書いたのですが。
せっかくなので、ブログにします。




どうしても今の私たちは、学校教育がすべて教える・教わるできていますので。
すぐに教えたり、教わったりしてしまいがち。

わからないことがあると、教えてほしい・・・となります。


私もよく、講師の藤田さんに、わからないから教えて!
と聴いていたのですが、そういう時には必ず、

『教えな~い』

と笑顔で返されたものです。



当時は、ちょっとむかついたりもしたのですが(ごめんなさいww)、
今思えば、教えてくれなくてよかったなと。

いろいろ教えてほしいことがあって、それの答えを教えてくれなくて。

自分の中で、ああでもない。
こうでもない。

全然答えが見つからないことも。



そして、そのときに出てきたものは、あっているとか間違っているということは関係がない。


出てきたものすべてが、今、自分でつかんだもの。
気がついたもの。


そして、そのつかんだ・気づいたものをそこで止めないで。
常に、また、掴もうとする。

掴んだ!!と思うと、実は、それは違っていて。
わかった!!と思うと、それもまだまだ浅くて。



『わかった。知ってる。できてる。は、一番危険だから。あり得ないし。』


これは、常に言われる。


1+1=??


本当に2なのか。
禅問答みたいだけど。

こんな単純で、当たり前のようなことでも。
実際には・・・





だから。

患者さんに対しての、術式や対応なども。

その人の在り方次第で、同じ方法を行っても違って見える。
その人がどういうあり方か。
どういう風に、それをつかんでいるか。



同じようにしていても、全く違う。
そこには、その人がつかんだ者の深さで、違ってくる。



単にかかわった時間でもなく。
考えた時間でもなく。

探究・・・

正解はないのかも。