上丹馬(かみたんま)バス停から近くの墓地へ入り、そのまま進むと尾根筋ルートになります。
〈長崎市 香焼町〉

↑ちょっと薮的不安はありましたしたが、大丈夫そう








↑すぐに金刀比羅神社というか、ほこらに到着

薮の問題は杞憂。また、くもの巣もまだまだ少しな8月。

↑ほこら建立の発起人は犬塚さん。

まるで一つの文字のよう。
はじめに『金毘羅』と彫ろうとしたのでは?
ちがうかな、安政六年のほこらなら、はじめから『金毘羅』あるいは『金比羅(こんぴら)』で良かったはず。
幕末明治に仏教色を取るために後から『刀』を無理やり彫り込んだのかな?サイズも小さいです。
仮にそうでもはじめから『金』と『比』の間隔が他の文字の間隔と比べたら空いています。

↑金刀比羅のほこらから、下へ向かう参道があります。しかしこちらは行きませんでした。
真冬に行ってみようかな


↑ほこらの近くにはこんな石碑。
向かって左は鎌倉神社、妙法真性院守女云々
中央は妙法云々
向かって右も妙法云々
と彫られていました。

↑サクサク

細い竹の枝を振り回しながら進みます。手が疲れます
(くもの巣よけ)


↑魚見大橋に出ました!
こわい、こわい、こわい!

↑渡りきったら右の階段を登ります。
ここ数年高い所が怖くなりました。

↑展望台があり、

↑展望台からのながめ

登るのも、途中くもの巣があったのも怖かったですが、行かねばならないんだ



そしてこのあと、『香焼町郷土誌』(だったかな?)にさらっと『魚見岳北面山腹に祭られているが、今日では雑木が繁り、参拝する人を見かけない。』と書かれていた日野山権現を探します

各種マップに無くて困りました。
頼みのヤマップユーザー様の活動記録にも見つけ出せず…。
大体、東西南北と言われて位置がわかるのはゲームくらいだよ
リアルお山では難しいよ


北って言われてもそれなりの範囲があるよ?

↑とりあえず北に進んでいると、石で囲まれた四角い穴。
ふむふむ人為的ですねえ。焼却場かな?日野山権現が近いのでは

食器のかけらも落ちていました。

↑ほこらには『釋』の文字だけ確認できました。お墓?
香焼町郷土誌には
『大正7年香焼村郷土史には次のように書かれている。「社殿小石祠で、元小石碑であったのを、安永亥年9月改碑し…(中略)…我村の三社と称した。
大正二年犬塚藤吉新たに石碑を建立して、日野山大明神と称して現在に至っている。」』
今の『権現』じゃなくて『大明神』だったんだ!?
そして…ほこらには安永二年巳十一?月って彫られてる…。
まさか…日野山権現はここじゃない

香焼村郷土誌に書いてあるように、安永亥年(8年)に改碑なら、もとは安永2年だった?
でもほこらの手前の石碑が大正2年建立の石碑では!?(刻字は確認できず)
要再調査ですね

また香焼村郷土誌には
弘法大師が護摩修行して龍神が感動して灯火を献じた地であり、火ノ山(ぱんだラン注:日野山)はその名としてこれに起因している。
との伝承があるという記述が続きます。